灰色の雲から、冷たい雨が降り注いでいた。日本に帰国してからもう20年もたつというのに、雨の日になると、滝沢涼子は留学先のアイルランドを思い出す。アイルランドは雨の多い国だったが、涼子の中では太陽のように光り輝く思い出となっていた。
「冬の雨って嫌だね」
窓から雨の景色を見ていると、上司から声をかけられた。
以前、自分は雨が好きだと言ったはずなのだが、見た目が貧相なこの上司は本当にいい加減だ。なんだか、自分が適当に扱われているような気がして不愉快だった。しかし、前の派遣先にいたパワハラ上司に比べれば全然ましだ。
商社を退職し派遣社員に
そこそこ名の知れた大学で留学経験もあった涼子は、就職活動で準大手の商社から内定を得ることができた。当時、友人はみんな涼子をうらやましがった。しかし、商社の仕事はかなりハードで、涼子は1年で会社を退職してしまった。終電ギリギリまで残業することも珍しくはなく、とても身体がついていかなかった。商社を退職してからは、ずっと派遣の仕事を続けてきた。今は派遣先の中小メーカーで一般事務の仕事をしている。
今の派遣先は決して給料が良いわけではないが、上司や同僚の人柄がそれなりに良く、大きなストレスを感じずに働けている。ケガや病気に備えて、ある程度の貯金もある。しかし、満足しているわけではない。涼子は今年で40歳になったが、独身で彼氏もいない。最後の彼氏と別れてから、もう5年以上たつ。
こんな状況で満足するわけにはいかない。東京の有名私大の出身で、アイルランドに留学し、準大手の商社で働いていた自分のゴールが独身の派遣社員で良いわけがなかった。
涼子がその日の仕事を終える頃には雨もやみ、しっとりとした空気だけが冬の夕闇の中に残っていた。派遣社員である涼子はそれほど重要な仕事を任せてもらえないが、そのかわりに残業なしで帰れる。「お先に失礼します」とオフィスの同僚や上司にあいさつをし、家路についた。