<前編のあらすじ>

昭一は一人暮らしの独居老人、35年前に別れた妻と子に対して後悔の念を持ちながら汚れた部屋で荒れ果てた生活を送っていた。そんな昭一のもとに、ある日突然中年男性が訪ねてくる。その男は35年ぶりに再会した息子の晃だった。晃の母であり最愛の元妻・芳美はすでに亡くなったので晃の妻と一緒に同居しようと言う。事実を受け入れられない昭一の心無い言葉に傷ついた晃は「二度と会うことも無い」と、怒って出ていってしまう。興奮する昭一に突然胸の痛みが襲い掛かるが……。

●前編:35年ぶりに再会した父と子、孤独な老後を過ごす父が息子に言った”あり得ない”一言

母の最後の願い

ミスミのケーキが食べたいという母の最後の願いを、晃はかなえてやることができなかった。

父は晃や母の誕生日になると、決まって近所のパティスリー〈メゾン・ド・ミスミ〉のデラックスショートを買ってきた。1個850円もするケーキを3つも買ってくるなんてと母さんはため息を吐いていたけれど、それを3人で囲む時間には確かな幸せがあった。

晃は35年ぶりに生まれた町を訪れ、記憶をたどりながらミスミを目指した。しかし商店街の一角にあったミスミはチェーンの牛丼屋になっていた。検索すればつぶれているかどうかなんてすぐに分かったはずなのにそうしなかったのは、きっとどこかで予想していたそんな結末を認めたくなかっただけなのかもしれない。

晃は牛丼を食べ、懐かしい町を歩いた。駅前には背の高いマンションがいくつも立っていて、大きな商業施設ができていた。商店街はすっかり寂れ、母さんにお遣いを頼まれて言った肉屋も、いつもおまけをしてくれた豆腐屋も、腰の曲がった妖怪みたいなおばあさんがやっていた駄菓子屋も、もうなくなっていた。

晃はその足で実家にも向かった。けれどそこには記憶にある古臭い一軒家は建っておらず、クリーム色の壁をしたはやりの縦長住宅が2つ並んでいた。

電柱の影から眺めていると、玄関の扉が開いて仲むつまじい様子の夫婦が出てきた。2人のあいだでは小学生くらいの子どもが笑っていた。晃たち家族の幸せだった記憶は、今幸せな誰かによって上書きされているのだと思うと感傷的な気分になった。

そのあとすぐに母は静かに息を引き取った。ささやかな願いさえかなえてやれない自分のふがいなさを後悔しながら葬儀を取りまとめているとき、ふと父のことを思い出した。

「いいんじゃない? あなたがもう許せるなら、後悔しないように選んで」

すべての事情を知っている妻は、父を探す晃の背中を後押ししてくれた。むしろ妻は父さえいいなら、一緒に暮らしたって構わないとすら言ってくれた。

四十九日が終わってひと段落したあと、晃は興信所に依頼をし父の行方探しを始めた。