<前編のあらすじ>
智美(44歳)は短大を卒業して結婚し、ずっと専業主婦だったが、夫の浮気をきっかけに離婚して実家へ戻ってきた。働いた経験が無い智美は就職活動がうまくいかず、そんな時に出会ったのがアイドルグループの〈Candy Beats〉だった。
「推し活」にハマっていく智美のもとにクレジットカードの督促状が届く。心配する母をよそに推し活に励む智美だが……。
●前編:夫の浮気で離婚、実家へ戻った「子供部屋おばさん」をATMにした“沼”の正体
青のコーディネート
デジタルサイネージにまばゆい光が散って、ステージの縁から紙吹雪が吹き上がる。円形のステージの中央が開き、下から5人が飛び出した。
イントロが始まる。〈Candy Beats〉のセコンドシングルのカップリング曲で人気のダンスナンバー「シンクロニシティ」だと、智美は2秒かからずに理解する。両手に握る青のペンライトを振る。推しの名前を叫ぶ。青い髪飾りをつけ、紺と青のワンピースを着ている智美は見る人が見れば一目瞭然で海斗担※だと分かる格好をしている。智美はずっと画面のなかにいた推しが目の前で動いているという事実に涙が出そうになった。けれど推しの頑張りを目に焼き付けなければいけないから堪えた。
※グループの中で最も好きなメンバーのことを「担当(○○担)」と表現する
曲名のまま、ぴったりと息のあった5人のダンスにファンの掛け声が呼応する。駆け巡るハイビームが会場を切り裂く。間奏でそれぞれの個性が光るソロダンスが行われる。推しはMVなどでは見せないアレンジを利かせ、ブレークダンスさながらの激しいダンスを披露する。六つに割れた美しい腹筋が衣装の隙間からちらりとのぞく。
先週の推しと特に仲のいい黄色担当の中尾凌空のファンブログには、肘に包帯を巻いた推しの後ろ姿が見切れて写り込んでいた。きっと今日という日のために、身体を痛めながらも頑張って練習したのだろう。推しは努力していることを人に、特にファンには見せないようにする。そんなプロ意識もいとおしくてたまらない。
智美は推しの名前を叫ぶ。もちろん声が届いているかは分からない。智美の声はその他大勢の歓声にのみ込まれていく。
止められたクレジットカード
昨日は少しはしゃぎすぎたせいか、智美は昼過ぎに目を覚ました。まぶたが重く、喉が少しいがらっぽい。2時間みっちりペンライトを振り続けていた腕はパンパンで、つま先立ちでもしていたのかふくらはぎまで筋肉痛だった。
今日受ける予定だったバイトの面接はとっくに約束の時間を過ぎている。まあ2駅隣までいかなくちゃいけないし、と智美は布団をかぶりながら自分を納得させた。
寝転がったままスマホを眺める。推しがSNSに写真を投稿している。
—— 最高の一夜だった
簡潔な文章がなんとも推しらしい。智美は昨日の出来事が夢ではないのだと実感して思わずにやけた。
実家に戻ってきて1年。古ぼけてほんのりと黄ばんでいた白い壁紙は、今や推しのカレンダーやポスターで埋め尽くされて華やかになっている。けれどその代償に、机の上には封すら切っていないクレジットカード会社からの督促状が埃(ほこり)をかぶって積んである。
智美が持っている2枚のクレジットカードは先月から止まっていた。カードローンを含める未払い金は合わせて135万円。夫からの慰謝料はとっくに使い果たしているから、払える宛てはなかった。
これまでの人生でお金の苦労をしたことがない智美には、どうすればいいのか分からなかった。支払いのことを考えると頭にもやがかかるようで何も考えたくなくなった。推しのことを考えているときだけ、心の平穏を得ることができた。
ライブから一週間がたって、新しく発売されるシングルのカード決済ができなかったときに、智美は重い腰をようやく上げた。
一階のリビングへ向かう。推し関連の用事がなければ食事とトイレ以外で部屋を出ることはなくなっていたから、なんだか少し緊張した。足の裏に感じるフローリングの感触がやけに冷たかった。
一階に下りると母はお昼ご飯の片づけをしていた。テーブルには智美の分の野菜炒めとご飯がラップをかけておいてある。智美は席に座った。冷めた野菜炒めをじっと見つめる。
「ねえ、お母さん。カードの支払いのことで、本当に申し訳ないんだけどさ」
智美が顔を上げたのと、母の身体が不気味に揺れたのは同時だった。まるでそれまで身体をつっていた糸がぷつりと切れてしまったように、母の身体はゾッとするようなアンバランスさで床にたたきつけられた。
「お、お母さん!」
智美は反射的に立ち上がった。背後で椅子が勢いよく倒れる。