離婚調停

烏丸さんたちは2カ月ほど伯父の家で暮らしたが、母親とすでに社会人になっていた姉が家を見つけてくると、3人で引っ越した。

母親は父親が押しかけてくることを恐れ、父親に自分たちの居場所を知られないよう努めつつ、伯父に間に入ってもらい離婚に向けて話し合いを進めた。

調停も起こしたが、父親は一向に離婚に応じなかった。その頑固さは、調停員もあきれて「あんな人だと、本当に大変だったでしょう?」と同情してくれたほどだった。

やがて、父親は伯父に復讐をほのめかすようになった。自分たちだけでなく伯父にまで危害が及ぶことを恐れた母親は、離婚を諦め別居のまま暮らしていくことにした。

それから父親とは音信不通だ。母親と姉と3人、貧しいながらも穏やかに暮らし、時が流れた。

父親の病状

あれから三十数年後。

烏丸さんは結婚し、夫婦2人で暮らしていた。姉も結婚し、2人の子どもを産み育て、4人の孫にも恵まれていた。母親はしばらく伯父の運送会社を手伝っていたが、74歳で退職し一人暮らしをしていた。

そんな頃、烏丸さんのいとこだと名乗る男性が烏丸さんの姉の居場所を探し当て、コンタクトを取ってきた。約7年前のことだ。男性は烏丸さんの父親の姉の息子だと言った。

いとこによると、現在父親は、

・要介護5で入院中
・水頭症で認知症もある
・今後、命に関わる選択もあるので、医師から「親族を探せ」と言われている
・入院してまもなく3カ月たつので、「転院しろ」と言われているが、胃ろうにすればさらに3カ月は入院させておける

という状況だった。

いとことしては、

・父親が烏丸さんたちにどんなことをしてきたかは知っている
・ずっといとこが面倒を見ていたが、いとこの母親(父親の姉)も認知症になり、これ以上見続けることが難しくなってきたため、やむを得ず居場所を探した

という事情があった。

烏丸さんと母親は、今更父親の面倒を見る気はみじんもなかった。そしてこの時は姉も、「私も見るんは絶対嫌よ! 今更何言いよるんじゃろ!」と憤慨していた。

いとこからは、「病院からも親族を探すよう言われているので、一度でいいから会ってやってくれ」と頼み込まれた。烏丸さんは「いとこの面子もあるだろう」とおもんぱかり、姉と2人で会うことにした。