<前編のあらすじ>

麻里は夫・久司の母である登美子と3年前から同居しており、当初は良好な関係だったが、登美子の認知症が進行し、夜中の徘徊や家族を認識できない状態が続いていた。

ついに登美子は10年以上ともに暮らし、亡き義父との思い出でもある愛犬・ひよりを忘れてしまう。限界を感じた麻里は、施設入所を提案するが、経済的に困難だった。

ある日麻里が帰宅すると、普段は吠えないひよりが激しく吠えていた。家の中を探すが登美子の姿はなく、徘徊による行方不明という最悪の事態に麻里は直面する。

●前編【「あれは何⁉ どうして犬がいるの⁉」10年以上一緒に暮らした愛犬を忘れた義母…介護する嫁が感じた介護の限界 

愛犬ひよりの疾走

まず、麻里は震える手で急いで久司に連絡を入れた。しかし仕事中なので当然出ることはなかった。

「こんなときになにやってるのよ……⁉」

麻里は半ばパニックになりながら家を飛び出したものの、すぐにその場から動けなくなった。

登美子がどこに行くのか麻里には見当もつかなかった。

こういうとき、認知症の人は思い入れのある場所へ向かったり、記憶に色濃く残る道を無意識のうちに辿ったりするという。しかし麻里には、登美子のそういうものの一切が分からなかった。

視界が狭くなり、冬の冷たい空気のなかに立ち尽くしているというのに背中が汗ばむ。

そんなとき、麻里の意識を現実に引き戻したのは、ひよりの吠え声だった。

足元を見ると、ひよりが訴えかけるようにこちらを見上げている。もう一度、短く吠えた声は真っ直ぐで力強く、確信めいたものに満ちていた。

「もしかして、ひより、おばあちゃんがどこにいるか分かるの?」

麻里はすがるようにリードを掴み、ひよりとともに駆け出した。アスファルトを駆けていくひよりはすさまじい健脚で、麻里はついていくのがやっとだった。愛する飼い主を追いかけて躍動するひよりの後ろ姿は、優しく呼びかけるように時折響く吠え声は、老犬のそれには到底見えなかった。

麻里は息が上がり、込み上げてくる苦しさを感じながら、鼻水をすすった。視界が滲んでいった。

たとえ忘れられても、怯えられても、ひよりは登美子のことを思い続けていたのだろう。認知症の症状が顕著になるにつれて、登美子のことを疎ましく思うようになっていた自分とは大違いだと麻里は思った。

気が付けば、ひよりの吠え声に合わせて、麻里も声を張り上げていた。視界を滲ませ、頬を濡らした涙も、いつの間にか乾いていた。