妻へ謎の健康マウント

「なに、急に懐かしくなったの?」

「いや懐かしいのもあるけど、やっぱり運動をしないとダメだよなと思ってさ。せっかくなら、また自転車やってみようかなって。ほら、通勤にも使えるし」

「今だって車で30分くらいかかってるんだよ? 自転車で大変じゃない?」

裕子がそう言うと岳人はムッとした顔になる。

「俺は現役時代は車くらいの速度で走ってたんだよ。だから全然問題ない。渋滞とか捕まらなくなるからむしろ時短になる」

「いいんじゃない。私は別に止めないよ」

何でもいいだろうと思って、裕子はそう答えた。自転車は15万円を超える本格的なものだったが、健康のことを考えれば悪くない買い物だろう。

「祐子も一緒にやる? 休みの日とかサイクリング一緒にできるぞ?」

裕子は首を横に振った。カマキリのようなハンドルの自転車になんて乗れる気がしない。あれでどうやって倒れないのかも裕子には理解できなかった。

「お前ってずっと家にいるんだろ? そんなん健康的じゃないって分からないか?」

「しょうがないでしょ。在宅の仕事なんだからさ」

裕子は学生時代から小説を書いていて、高校は文学部、大学は文学系のサークルに入っていた。今もその流れからライターの仕事をしていて、年がら年中家にいる。

「別に大丈夫よ。自転車だってタダじゃないんだし。私までやるってなると2台分ってことでしょ。あなたみたいに通勤で使うわけでもないし、お金の無駄だよ」

岳人が裕子の言葉を小さく鼻で笑ったのを、裕子は聞き逃さなかった。

「おまえさ、病気になったときの医療費とか考えたことある? そっちの出費を考えたら運動して健康なほうが絶対良いだろ? 目の前の出費のことしかおまえは考えられないんだよ。こういうのは自分への投資なんだから。もっと長い目で物事を考えた方がいいぜ」

どうして岳人は得意げで上から目線なのだろうか。裕子は苛立った。

「あーそうですか。だとしても私は大丈夫ですよ。あなただけ好きにやったらいいわ」

「そうかよ。それじゃそうさせてもらうぜ」

「あとやるのはいいけどほどほどにしてよね」

苛立ちついでに裕子は釘を刺したが、岳人は返事をしなかった。