気もそぞろな智子に上司が…
毎朝、眠そうに目をこすりながら「ママ、今日は早く帰ってくる?」と尋ねる息子の姿が思い浮かぶ。智子は笑って「できるだけね」と答えるのが常だった。
でも実際は、イベント前になると帰宅は夜遅くなるし、休日出勤も避けられない。今でさえぎりぎりなのに、佑輔がいなくなったらどうなるのだろう。
「……実家に頼れたら、まだ違うんだけどな」
つぶやいて、すぐに首を振った。
智子の実家は飛行機で数時間の場所。気軽に助けを求められる距離じゃない。両親もまだ働いていて、子どもの面倒を見てもらうなんて到底無理だ。
現実は、思った以上に厳しい。
頭を抱えながら、智子は机に突っ伏したくなった。切り替えようと、コーヒーを一口含んだが、苦味が舌に広がって、かえって気持ちが沈んでしまう。
「……困ったなあ」
手詰まり感と孤立感がじわじわと広がっていく。肩に太い鎖を巻き付けられたようで、どうにも身体が重い。
智子はスマホをもう一度手に取り、別の条件で検索をかけたが、特に有力な情報が得られることはなく、昼休みは過ぎていった。
◇
午後のオフィスは、どこか人工的な静けさをまとっていた。
智子はパソコンの画面を前にしていても、文字が頭に入ってこない。さっきから同じ行を何度も見返しているのに、意味がつかめないままだった。
「西山さん、最近元気ないね」
不意にかけられた声に、肩がびくりと揺れた。
振り返ると、上司がコーヒーを片手に、にこにこしながら立っていた。娘さんからのプレゼントだというマグカップには、クマとも犬とも判断がつかない生き物が描かれている。
「えっ……そんなふうに見えます?」
「うん、見えるよ。少し前まで、もっと楽しそうに働いていた。でも今はなんというか、気もそぞろって感じ?」
図星だった。