それでも「自分の遺言書」を作る理由は…
「そんなあなたがどうしてまた遺言書を?」
私は疑問に思い問うてみる。すると彼女は「だからなのかもしれません。私は自分の死後、子どもたちがもめないようにしたくて、遺言書を作ろうって思ったんです」と、苦虫を噛み潰したような声音と表情で答える。
終活の相談に訪れた美佳さんは、もう高齢で一人暮らし。自宅とわずかな預貯金を、どのように4人の子どもに残すかを真剣に考えていた。
「私はあのとき、父の想いを“なかったこと”にしてしまった。それが正しかったのか、今でもわからない。でも……自分が同じことをされたら、やっぱり悲しいなって」
彼女と兄はその後も表面上は普通に接していたという。だが、心のどこかに「知られたら終わりだ」という後ろめたさが残っていたからだろうか。2人はぎくしゃくした関係になり、今ではすっかり疎遠になってしまっているようだ。
遺言書は握りつぶされれば意味がなくなる
さて、どんなにしっかりとした遺言書があったとしても、それが破棄されてしまえばまったくもって意味がない。
たしかに遺言書を破棄すること自体は法律違反であり、相続人としての資格を欠くことになる。しかし、確たる証拠がなければどうにもできず、遺言書を破棄しても相続人のままとなってしまう。それによって故人の描いた相続がねじ曲げられた事例も一定数以上存在しているはずだ。そう、美佳さんの事例のように。
過去に遺言書を破棄した美佳さんも、今では自分の遺言書を公正証書で作る準備を進めている。公証役場が絡み、変造や破棄のできない形だ。
彼女は今、「きちんと残し、きちんと伝える」ための文章を、一文ずつ丁寧に書いている。
「誰かが勝手に捨てたりしないように、ちゃんと公証人の手を借りて作ります。私があの時やったことを誰かに繰り返してほしくないから」
遺言書は亡くなった人の「最後のメッセージ」だ。だが、メッセージは発見されなかったり、破棄されたりして届かなければ意味がない。
美佳さんの行いは絶対的に間違いであり悪である。しかし、彼女の行為の是非はともかく、そういったことはひっそりと行われている。こうしたケースが他人事ではないと知っておくことで、巡り巡って自身が加害者となってしまうこと、そして被害者を増やさないことにつながると私は信じている。
※プライバシー保護のため、事例内容に一部変更を加えています。