俺が返す
思わず間抜けな声が出て、美穂は顔を上げた。運転席では相変わらず、辰巳が天気の話をするみたいな気安さでハンドルを握って座っている。
「俺が返す。だってその借金、美穂さんが作ったわけじゃないんだし。これまで頑張って働いてきたんだから、もう肩の力を抜いたっていいと思うんだ。あ、もちろんだから俺と付き合えってわけじゃなくて、これは、そうだな、万年筆のお礼」
「いや、もうお礼はしてもらいましたよ……」
「じゃあ、これまで過ごした楽しい時間のお礼」
「お礼って、楽しかったのは私だって同じなのに……」
車が減速し、緩やかに路肩に止まる。辰巳はハンドルから手を放し、美穂へと向き直る。
「ならふさわしいとか、ふさわしくないとかじゃない。俺は美穂さんのことが好きだよ。美穂さんは俺のこと、どう思ってくれてるの?」
車のなかは静かだった。まるで世界から、この世の中のありとあらゆるしがらみから、今この瞬間だけは切り離されているようだった。
「私だって、辰巳さんのことが好きです」
震える声で、だけどはっきりとした声音でそう告げると、辰巳は安心したように微笑んだ。それから2人は言葉を交わすことなく、静かな車のなかでたった今手にした幸せを確かめるように唇を重ねた。