弁護士事務所から届いた連絡
「今日は早かったね」
九時前に家に着くと、ほぼ毎日定時上がりの純白企業に勤める夫はすでにシャワーを浴びたらしく、スウェット姿でYouTubeを見ていた。見ているのは件の炎上ユーチューバーとは何の関係もない、猫の動画だったが、どうしてこのタイミングでYouTubeなんて開いているのかと理不尽な怒りが込み上げてくる。
「ご飯買ってきたけど食べる?」
「お、ありがとう。食べる」
真耶子が忙しいので自炊はしない。毎日七時すぎには家にいる夫が料理のひとつくらいしてもいいような気がするが、無能夫が辛うじて作れるのはインスタントのラーメンだけだった。
スーパーで買ってきた半額の焼き魚弁当を頬張る夫を眺めながら、これじゃどっちが猫か分からないなと思う。いや、しょせんは夫なんてペットなのだ。可愛くもなく、文句だけを言って、餌を食べるだけのペット。
いつからこうなったのかと考えてみるが、きっと結婚生活が楽しかったのは最初の半年くらいで、とするとこの10年、ほぼずっとこんなものだったのだろう。すると急に食欲が失せてきて、ハンバーグ弁当の容器のすみに溜まった肉汁が気味悪く見えてくる。
「食べないの?」
「疲れてる」
真耶子はあからさまに溜息をついて立ち上がった。
「そうだ。夕刊と一緒になんか弁護士事務所から真耶子宛てに封筒来てたよ」
「え、弁護士事務所?」
もちろん心当たりはないので首をかしげた真耶子だったが、どうせ大したものではないだろうと思いながら、ソファ前のローテーブルに置かれた夕刊に挟まっている茶色い封筒をつかみ上げる。
手で封を破り、中に入っている書類を取り出す。しかしそこに並ぶ文字の意味を頭が理解できてしまった瞬間に、紙1枚を掴んでいた手から力が抜けていった。落ちた書類は夫の足元まで床をすべっていった。まずいとは思ったが真耶子の身体は思うように動かず、夫が書類を拾い上げるのをなす術なく見ているしかなかった。
「何これ?」夫は眉をひそめた。「誹謗中傷で慰謝料70万ってどういうこと?」
真耶子は黙り込んでいた。SNSでの誹謗中傷による慰謝料請求。字面は理解できるし、最近では被害者が開示請求をして誹謗中傷してきた相手を訴えることがあることも知っていた。だが頭のなかで知っている知識と目の前の光景がうまく結びつかなかった。
「ねえ、何これ? 真耶子、説明して」
「……えっと、それは、その」
この期に及んで言い訳を考えていた。けれど疲れているせいか、真耶子の頭は働かなかった。まとっていた仮面が剥がれていくように、言葉のかわりに涙がこぼれた。