次は自分の番だ

世界を意識して活動していたアユンは英語の勉強に熱心で、かなり流暢に喋ることができたことはファンなら誰でも知っている。なかでも握手会などのイベント時、英語で話しかけるとアユンが喜ぶというのは、デビュー間もないころにネットニュースにもなった話題で、アユンが楽しめるならと満里奈も英語を必死に勉強した。

さっきこうして英語で道案内ができたのは、10数秒の握手のあいだに伝えたいことを伝えて、アユンの言葉を受け取らなければいけないイベントで培った英会話スキルのたまものだった。

日本に住んでいる限りはめったに使うことのないスキルなので忘れていたが、日本語ではなかなか話すことのできない気持ちでも、母国語ではない言葉で話すと自然と喋ることができたりするので、思っていたよりも楽しかったことを思い出す。とくに、ルミスターがロサンゼルスで初の海外公演を行ったとき、現地のファンたちと交流したのは、今でもいい思い出だ。

「私もなんか勉強しないとな、とは思うんですけど、なにやったらいいのか難しくて」

「そんな難しく考えなくてもいいと思うけど……私だって、別に英語が仕事に活かせてるわけじゃないし」

自分でそう言って、少し悲しくなった。アユンが芸能界からいなくなった以上、たまの道案内くらいでしか英語を喋る機会はないだろう。

「たしかにもったいないですよ。あんなに喋れるなら、海外のクライアント担当する部署とか、そもそも海外で働くとか、もっといろいろできそうなのに」

たぶん智子は何気なく言ったのだろう。だが満里奈はハッとした。

海外で仕事をするなんて考えてみたこともなかった。だけど、面白そうだと思った。同時に自分にそんなことができるだろうかというネガティブな感情も湧いた。

こんなとき、アユンならどうするだろうか。不安なときこそ、くじけそうなときこそ、アユンは努力で壁を乗り越えようとしていた。

そんな姿が、新卒入社で右も左も分からないまま上司に怒られる日々を過ごしていた自分に重なって、満里奈はアユンのファンになったのだ。

次は自分の番だ。

自然とそう思った。

「あ、でも辞めないでくださいね。私、満里奈さんにまだいろいろ教えてもらいたいことあるんで」

真っ直ぐに満里奈を見てくる智子に、満里奈は「教えることなんてないよ」と小さく笑った。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。