暴力的な父はいつしか禁忌のような存在に
私は大阪出身で、両親にとっては一人娘です。父はもともと優しい人だったそうですが、今で言うブラック企業に勤務していて、きついノルマを課されたストレスから家族に暴力を振るうようになりました。
晩酌の酒を切らしていたとか、ご飯のおかずの品数が少ないとか、ささいなことで烈火のごとく怒り出し、そうなるともう誰も止められません。テーブルの上の食器をひっくり返すだけでは足りず、母に殴る蹴るを繰り返し、幼い私もぶたれたり、蹴り飛ばされたりしました。
母や私はけがが絶えず、地元の民生委員の方や私の担任の先生が何度も我が家に足を運び、父に話をしてくれたりしましたが、DVは一向にやみませんでした。
意を決した母は、その頃から増えてきていたDVシェルターの記事を新聞で読んで、10歳だった私を連れて家を飛び出し、上京したのでした。幸い、DVシェルターでは親切な方々に巡り会い、母は社会福祉士の資格を取得して施設の職員として働くようになりました。そして、女手一つで私を育て、大学まで行かせてくれたのです。
私は母の支援もあって、奨学金を受けながら大学に通い、卒業後は憧れていた航空会社のキャビンアテンダントになることができました。母はそんな私の姿を見届けた後、私が就職して3年目の夏に勤務先で急性心筋梗塞を発症し、入院したその日に亡くなりました。まだ40代でした。
長年の苦労が生まれつき病弱だった母の体をむしばんでいたのだと思います。そうした経緯もあって、私の中で父は、絶対に許せない、触れたくない、禁忌のような存在になっていたのです。