松野歩さん(仮名)は10歳の頃、父親のDV(ドメスティックバイオレンス)に耐えかね、母親に連れられて大阪の実家を飛び出しました。以降は一度も父親と会っていません。

母親は松野さんが憧れのキャビンアテンダントになったのを見届け、40代の若さで急死しました。その後、自身も結婚・離婚を経験した松野さんは、シングルマザーとして息子の子育てに追われる昨年の夏、ある専門家から九州に住む父親が死の床にあることを知らされます。

突然の告知に戸惑いながらも父への嫌悪感を抑えることができず、会うつもりも相続人になるつもりも全くないと返事をしました。それでも、その専門家は松野さんに父親の最期の日々をつづった手紙を送り続けたのです。

最初は迷惑だったそうですが、父親が亡くなった今、それは感謝の気持ちに変わったと言います。「やはり親ですから、傍観者の立場であってもその死を見守ることができて良かった。それにしても、忙しい業務の中で1人の人間の死にこれほど真摯に向き合う姿勢は本当に凄いと思った」。そう語る松野さんが、その専門家とのやり取りを振り返ります。

〈松野歩さんプロフィール〉
東京都在住
35歳
女性
塾講師
6歳の息子と2人暮らし
金融資産120万円

***
 

九州の居宅介護支援事業所でケアマネジャーをしている古賀さん(仮名)という人から突然手紙を受け取ったのは、1年前の2023年夏のことでした。

全く心当たりのない名前をいぶかりながら封を切ると、そこに書かれていたのは私が小学生の頃に生き別れた実の父に関する話でした。

66歳になる父は古賀さんの事業所の近くのアパートでひとり暮らしをしていたようです。末期の肺がんと診断され、本人は「このまま自宅で死にたい」と言って古賀さんの事業所が面倒を見てくれることになったのですが、この先病院や介護施設に入ることになった場合の身元引受人になってもらえないだろうかという相談でした。

手紙を読み進めるうちに、自分でもひどく手が震えるのが分かりました。父は、私にとってトラウマのような存在だったからです。