お金のことばかり

「梨沙子さん、こっち」

今回も先に待ち合わせ場所に着いていた新一は、軽く手を上げて梨沙子を呼んだ。季節感のあるシックな装いの彼は、慣れた様子で梨沙子を伴い、美術館へと向かった。

それから梨沙子は、新一の案内で館内の展示を見て回った。思っていた通り、美術に対する彼の教養は深く、その知識量は膨大で、解説文にも載っていないような豆知識を生き生きと披露した。

「この作品を制作していたとき、彼は肺結核を患っていてね……」

「そうなんだ。よく知ってるね」

「今日が待ち遠しくて、いろいろ調べてるうちについね」

新一が口にする何気ない一言が、あるいは動作が、視線が、梨沙子を喜ばせた。

「ほら、この絵。この絵はすごくてさ、オークションで500万ドルの値がついたんだ。でもあの絵は微妙だね。この作家の絵は、晩年よりも初期のほうが価値が高いんだ」

「へぇ、そうなんだ……」

「梨沙子さん、見てみて。これは、なかなか素晴らしいよ。何といってもニューヨークで1000万ドルで落札された作品だからね。当時のレートだと日本円で13億くらいかな」

「へぇー、すごいね……」

次第に梨沙子のテンションは下がっていく。さっきからずっと、新一は落札価格や絵の価値の話をしている。だが、値段は美術品の価値を計るための指標の1つでしかない。意味がないとまでは思わないが、それがすべてではないことは間違いがない。1度そう思ってしまうと、新一の発言の1つひとつがどうしても気になった。

気にしすぎかもしれない。きっと、元夫やこれまでアプリで会ってきた男性のことがあり、過敏に反応しすぎているのだろう。梨沙子は考えるのを止め、素直に展示を楽しもうと決めた。

「この絵、素朴な感じがして好きだな……色使いがきれい……」

梨沙子がある作品の前で立ち止まり、ぽつりとつぶやくと、新一は備え付けの紹介文を一読し、にべもなく言った。

「ああ、この絵はダメだよ。この画家は、他の作品も含めて人気がないし、取引価格も安いんだ。市場で認められていないってことはつまり、美術家としていまいちってことだからね」

新一の言葉は、梨沙子が抱いていた彼への期待を裏切るのに十分過ぎるものだったのだ。高価な作品だけを素晴らしいと思い込むのは勝手だが、その価値観を他人に押し付けるのは言語道断。他人が好きだといったものを平気で否定できるような人間とは、一緒にいられない。

そう心に決めた梨沙子は、新一とのディナーを断ることにした。

新一がレストランを予約してくれていたことは分かっていたが、美術館でのやりとりに疲れてしまい、これ以上彼と一緒に過ごす気力が湧かなかったのだ。

新一の上っ面の部分だけを見て、引かれていた自分がばからしく思えてきた。

梨沙子は、帰宅ラッシュの電車に揺られながら、静かにため息をついた。