それぞれ、新しい生活へ
数週間後、マンションの他の住人からの通報で、貴理子がペットを飼っていることが管理会社に伝わることとなった。即刻退去とはならなかったものの、貴理子はオーナーから厳重に注意を受けた。そして、今飼っている猫たちの飼い主を速やかに見つけること、退去時には原状回復費用を支払うことを約束させられたという。
ちなみに猫たちの里親探しのために与えられた猶予は2カ月。期限を過ぎても部屋に残っている猫は、保健所に引き取ってもらうことになったらしい。
その話を聞いた郁美は心が揺れた。保健所が動物を引き取る場合、殺処分になる可能性もある。契約違反を犯していたとはいえ、貴理子は猫たちを大切にしていた。その猫たちの幸せを考えれば、2カ月という猶予期間が短すぎることは明らかだった。
「あのね宗司、私……猫たちの里親探しを手伝いたい」
郁美は悩んだ末、宗司に自分の考えを告げることにした。人に頼み事などできなさそうな、おっとりした性格の貴理子1人で、あの大量の猫たちを里親に出せるとは到底思えなかったからだ。
「やっぱりね。郁美ならそう言うだろうと思った。せっかくだから僕も手伝うよ」
こうして郁美と宗司は、猫たちの里親探しを手伝うことになった。郁美はWEBデザイナーとしての腕を生かし、猫の特徴や性格が伝わる温かみのあるチラシをデザインした。宗司はプロのカメラマンとして、猫の一瞬のしぐさや表情を見事に捉えた写真を次々に撮影した。あっという間に、かわいい猫たちがいっぱいの優しいパステルカラーに彩られた里親募集チラシが出来上がった。
完成したチラシや猫たちの写真は、郁美と宗司がそれぞれSNSで拡散した。貴理子は、地域のスーパーマーケットやペット用品の販売店、動物病院にも直接足を運んで、チラシを掲示してもらえるよう交渉した。
思ったよりも多くの人たちが関心を寄せてくれたおかげで、タイムリミットの2カ月を迎える頃には、ほとんどの猫に新しい飼い主が見つかった。最後まで里親が見つからなかった数匹の猫は、猶予期間ぎりぎりで、保護猫活動を行っている地域の団体に引き取ってもらうことになった。
貴理子の猫たちはみんな無事に、次の生活へと巣立っていった。
「これで、少しは落ち着けるわね」
静かになった貴理子の部屋を見て、郁美は笑顔でそう言った。爪のあとや使われなくなったトイレなど、猫たちが暮らしていた痕跡だけが残る部屋は少し寂しいが、貴理子も心の重荷が少し軽くなった様子でほほ笑んでいた。
「本当に何とお礼を言ったらいいか……あなたのおかげであの子たちも私も助かりました。ありがとう、郁美さん」
「いえいえ、お隣さんですから……」
真っすぐに感謝を向けられると、郁美は少し気恥ずかしくなった。
「そうだ。何匹か引き取ってくれた人のなかに、猫カフェのオーナーさんがいて、良かったら今度遊びに来てくださいって誘われてるんです。貴理子さんも一緒にどうです?」
「それは、すてき。またあの子たちに会えるのね」
郁美は貴理子と猫カフェに行く予定を立て、カレンダーに入れた。開いている窓からは秋風がそよぎ、ほんの少しキンモクセイの甘い香りがした。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。