救助の要請

何とか自分をごまかしつつ下山し続けていたが、胃の中から物体がせり上がってくるような気持ち悪さをずっと感じていた。昼食にカツサンドなんて食べなければよかったと後悔した。どこかで吐ければ回復するのだろうが、そんな醜態を世那や他の登山客には見せられない。とにかく弱っているところを人に見せるわけにはいかなかった。

そんな意地で歩き続けていると、ふいに世那がこちらを振り返った。

「すごく順調だよ。このままだとあと2時間で、下りられると思うから」

今まで遠くでしか聞こえてなかったのに、その言葉だけははっきりと洋祐の耳に届いた。

半分以上は歩いた気持ちになっていたが、まだあと2時間も残っているのか。この瞬間、洋祐の中の何かが切れた。目の前の景色がぐるぐると回り出し、洋祐はその場に座り込んだ。

「え、ちょ、ちょっと、ここ座るところじゃないよ?」

そんなのは百も承知だと言い返したかった。しかし体が言うことを聞かない。このまま寝そべりたい衝動を堪えるのだけで精いっぱいだった。

「何、つらいの? どうかしたの?」

頼むから静かにしてほしかった。会話をできる状態じゃないと分かってほしかった。洋祐はその気持ちを表すために、首をゆっくり2度横に振った。洋祐の反応を見て、世那は目の前に膝立ちになり、リュックサックから水筒を取り出す。

「取りあえず飲んで」

出された水を洋祐はゆっくりと飲む。そこで大きく息を吐き出すと、幾分かマシな気持ちになった。しかし体は地面に磁石でくっついたように動こうとはしない。

世那は携帯の地図で何かを確認している。

「もう少し下りたら、山小屋があるんだけどな。ど、どうしようかな……」

すると1人の年配の男がこちらに近づいてきた。

「どうかしましたか? 体調が優れないようですが?」

「ええ、突然座り込んじゃって。休憩して様子を見ようとは思ってるんですけど」

「いや、すぐに救助隊を呼びましょう。取り返しのつかないことになるかもしれません

「え、で、でも……」

男の声はしっかりと洋祐の耳にも届いていて、取り返しのつかないことという単語をしっかりと受け止めていた。もう少し早く音を上げていれば良かった。いや、山頂で異変に気付いていたのだから、しっかりと休憩をしようと世那に提案すれば良かったのだ。強がっていた山頂での自分をしかりつけたかった。しかし、感情とは裏腹に体は全く動こうとしない。

困惑する世那に男が冷静に話を続けている。

「私が山小屋に行って、救助を要請しましょう。あなたは引き続き、彼を見守っておいてください」

「い、いいんですか⁉」

「もちろん。どうせ道中で寄ろうと思ってたのでね」

すると、男は俺の肩に手をのせる。

「気をしっかり持ちなさい。必ず助けは来るから」

男の言葉に洋祐はうなずく。前だったら、なめるなとかそんな感情が生まれていたと思うが、今は、そんなことを思う気力すらない。

「ほら、ここに寝て」

洋祐は言われるがまま、世那が敷いたシートの上に横になる。寝転がるとつらさが軽減された。鼻先をかすめていく風が、とても涼しくて心地よかった。

「どう、気分は?」

わりと良くなったという意味で洋祐はうなずく。まだしゃべるだけの気力はなかったが、世那の心遣いがだるい身体に染みわたった。