郁夫はリビングでソファに座り、壁に掛けてある時計の時刻を確認した。
13時18分。
郁夫は大きなため息をつく。昼飯を食べてから1時間しかたっていない。やることがないとこんなに時のたつのが遅いのかと毎日のことながらがくぜんとする。郁夫は大きく伸びをして、目線を窓の外に向ける。太ももはずっと貧乏揺すりを続けている。
何か趣味でも見つけておくんだったと郁夫はひどく後悔をしていた。郁夫の人生は仕事をするためにあった。楽しかったわけではないが、目の前のやるべきことを全力で行う。周りも同じようなスタンスだったし、競争心もあったので、ひたすら仕事を中心に生きてきた。
そんな職場を3月いっぱいで定年退職した。仕事をなくした途端、全ての熱量が失われ、何ひとつとしてやる気が起きなくなった。今考えれば、与えられた仕事をやるだけで良かった日々が恵まれていたと分かる。今は何をやるにも自分で決めなければならない。
そうなると途端におっくうになるのだ。ゴルフ、旅行、キャンプ、そのどれもが退職後にやろうと決めていたが、いざ、退職してみると、全く魅力のない事柄に思えてしまった。
また時計をチラリと見る。時計の針はほとんど動いていない。
郁夫はおもむろにテーブルに置かれたリモコンを手に取った。テレビは普段、スポーツ中継くらいしか見ないのだが、初めてネット動画を見てみようと思った。たまに妻の諒子がテレビで映画を見ていることがあった。夜の12時を過ぎて映画がやっていることに驚いたが、後で息子の慎也がネット配信のものをテレビで見られるようにしてくれていたのが分かった。
リモコンのボタン1つでいつでも見たいテレビを見られるなんて変な時代だ。昔はテレビ欄を確認して、その時間に合わせなければ見られなかったのだから。ざっと眺めてみたものの、郁夫は特段映画に興味があるわけでもなく、見たいと思えるような作品は見つけられなかった。人気ランキング1位のものを取りあえず再生する。
どんな映画かも、主人公が何をしたいのかも、郁夫の頭には入ってこなかった。
「……ねえ、何やってんの?」
突然声をかけられて、目を開けると、いら立った顔の諒子が郁夫を見下ろしていた。
「テレビつけっぱなしで。寝るんならベッドに行ってよ」
諒子に指摘されて初めて、自分がいつの間にか寝ていたのだと分かった。時計の針は短針が6の数字を指していた。
「わ、悪かった」
郁夫は頭を下げたが、諒子は当てつけのようなため息を吐くだけでリビングから出て行ってしまった。