俺ができることをやる

新天地での生活が始まった。

引っ越しのお祝いを兼ねて出前のすしをとり、まだ段ボールに囲まれたまま、家族3人で食事をした。新居を新奈は気に入ってくれたようで、涼としては一安心だった。新奈を寝かしつけてから、リビングで涼と楓は晩酌をする。晩酌といっても、飲むのは楓だけで、現役時代から体調管理のためにアルコールを控えていた涼は新奈が残したオレンジジュースを飲んでいた。

「あとでスーツを出しておかないとな……」

涼は段ボールを眺めてつぶやいた。周りの友人たちと違い、涼は就職活動をしたことがない。

「セコンドキャリア支援みたいな会社は使わないの?」

楓がビールを口に含む。

「ああ、まあ、普通にハローワークに行っていろいろと相談してみるよ」

「ふーん、まあ、涼がそれでいいなら、何も言わないけど」

正直、これ以上野球選手と関わるのが嫌だった。華々しく成功する元ライバルたちを、落後者として見続けるなんて、きっと耐えられそうにない。

「あんまり無理しなくていいからね。貯金はまだあるし、新奈ももうすぐ小学校で手が空くから、私がパートしてもいいんだから」

「……取りあえず、俺ができることをやるよ。だから見ててくれ」

「うん、とにかくこれまでずっと張りつめてやってきたんだから、気楽にやってね」

気楽になんてできなかった。していいわけがなかった。楓たちには今まで散々、迷惑をかけてきた。これからは自分が好きだった野球のためじゃなく、妻と娘のために生きるのだ。

そう決意を固めて飲み干したオレンジジュースは、甘ったるくて喉に引っ掛かった。