原博司(63歳)は、「また、やってしまった」と出てきたコンビニを振り返りながら、ひとり唇をかんだ。1960円の会計で2010円を出して、すぐに50円玉のおつりがくるものと手を出して待ち構えていたところ、レジ係の若い店員は、入金額をレジに打ち込んで50円のおつりの表示が出たのを確認した上で、のろのろとレジから50円玉を取り出したのだった。「瞬時に計算もできないのか?」と口から言葉が飛び出していた。最近は、コンビニでタッチパネルを操作した上で、自分自身で紙幣や硬貨を投入口に入れる会計が増え、原は慣れない操作を嫌って、もっぱら、店員が会計をしてくれる店を選んで買い物をするようにしているのだが、その店員の能力が昔よりも衰えていると感じられてしかたなく、イライラすることが増えていた。

妻を失くして独り身で迎えた老後

原が怒りやすくなったのは、長年連れ添った公子(享年57歳)を一昨年に亡くしてからのことだ。ちょうど定年退職を迎え、子どもたちはそれぞれに家庭を構えていたので、夫婦でのんびりした老後を過ごすつもりだったのだが、突然、胸が痛いと言って蹲(うずくま)ってしまい、救急車で運ばれた病院で心筋梗塞で亡くなってしまった。それまでは、病気らしい病気もしたことがなかった公子だった。自らの健康を過信していたわけではないのだろうが、あっけなく逝ってしまった。定年退職後は、夫婦で海外旅行や国内でのグルメ旅行の計画を立てていた。それが、公子の死によって、全てご破算となってしまい、原は公子の死から1カ月ほどは生きる気力を失くしたようなぼうぜんとした日々を送っていた。子どもたちが心配して同居の話などを持ちかけてくれたものの、原は家事全般は自分でもできる自負があったので、子供たちの同居の申し出を断った。それから、郊外の一軒家を売却し、駅前のマンションを購入して移り住んだ。

「言わなくても良い一言のために敵を作ってしまう」というのは、原が若い頃から周りに言われてきたことだった。公子からは、「あなたは他人も自分と同じようにできるべきだと思っていて、それができないと相手を見下してしまう。そんなことされて周りは気持ちいいはずはありません。他人を見下すようなことをやめてください」と口酸っぱく言われていたため、公子の前では一言癖はでなかったのだが、公子を失ってみると歯止めがなくなったようだった。原は、地方公務員として定年まで勤めあげ、公認会計士だった父親が残した1億円を超える財産の相続対策で苦労したものの、財産は運用して増やすことができた。公子が入っていた生命保険から保険金も支払われたため、定年時には相当の資産があった。公子を失って、しばらくぼうぜんとしていたものの、自身の資産ポートフォリオの効率化に取り組むことによって、徐々に活力を取り戻してきた。ただ、その際に、表に出てきてしまったのが、「一言多い」という性癖だった。