家族の危機を救った夫の出世

翌日になって律子から電話があり、新しいシフト表も張り出されて、恵はその年を年収105万円程度に収めることができた。しかし、後になって、猪山と恵がラブホテルの駐車場から車で出て来るところを撮られた写真を使って猪山は恵を恐喝するようになる。恐喝と言っても、金銭を要求するようなことではなかった。猪山と定期的に会って、ホテルに行こうということだった。この要求には、恵はあぜんとしてしまった。自分は、年間の収入を扶養の範囲内に収めたいと希望しているだけなのだ。それを実現するために、なぜ、副店長の愛人まがいのまね事をしなければならないというのだろう。恵は、「写真を何に使おうがご自由にどうぞ。どうやら山田さんもグルのようですね。2人でどれほどの悪さをしてきたの? そちらが何かやろうというのであれば、私も出るところへ出て徹底的に戦いますから」と思い切って言い返した。

ちょうど、夫が隣の県の営業所長に栄転することが決まっていたので、もはや、そのスーパーでのパート職は、恵にとって不要なものになっていた。何の証拠もないといわれればそれまでだが、ラブホテルに連れ込まれそうになって、無理やりキスされたことが悔しくてしょうがなかった。スーパーで以前働いていた女性に会って、一緒になって何とか猪山たちを懲らしめてやろうかと考えたものの、以前働いていた女性というのが誰なのかわからなかった。良いアイデアも浮かばないまま、恵は引っ越すことになった。ただ、誠が昇進したことで、楓のバレエ教室の月謝も払えそうだった。湊は、引っ越し先にあるサッカーチームとはよく対戦していて、そのチームにとても仲の良い友達がいるということで、引っ越しを歓迎していた。

そして、誠は恵の働き方についても、「106万円とか130万円の壁なんて気にしなくてもいい」と言い出した。むしろ、恵が望むのなら130万円でも150万円でも働いて社会保険料を負担しておいた方が、将来もらえる年金の額も大きくなる。長寿社会だから、年金はお互い多くもらえた方がいい」というのだった。恵は、猪山たちの仕打ちのことが頭を過って、誠に何か言ってやりたくなったが、家族のためと頑張って出世した誠であって、誠が何か悪さをしたわけではないと思い直した。それより、その日は、楓にバレエシューズを買いに行く日だった。朝から大喜びの楓を見ていると、パート先でのうっぷんは、どうでもいいことに思えてきた。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。