戸惑うばかりだった夫からの突然の仕打ち

佳奈が、自分の体重が増えたことを苦にし始めた頃、貴広との会話が少なくなっていった。貴広は佳奈が用意した食事を黙々と食べ、入浴し、すぐにベッドに入るというルーティンを機械のように繰り返すようになっていった。貴広の無言に戸惑った佳奈は、最初は話しかけたり機嫌を取ったりしていたが、貴広に反応する意思がないことがわかると、やがて働きかけることをやめた。貴広が無言で生活することも、それを当たり前と認めてしまってからは、佳奈も少しは楽になった。その後、食事を一緒に食べることもなくなった。朝は、朝食と弁当を食卓に並べておくと、朝食は食べられ、弁当が持ち去られた。夕食も食卓に並べてラップをかけておけばよかった。毎月の生活費は、夫婦で共有する銀行口座に決まった額が振り込まれていたので、佳奈がお金のことで困ることもなかった。

そんな生活が半年ほど続いた後で、貴広の外泊が始まった。佳奈には理由がわからなかった。自宅に帰っても妻とは会話しない生活が続いていたとはいえ、毎日の食事の用意はしていたし、食事は毎回残すことなく食べてくれた。掃除や洗濯も欠かしたことがなかった。会話こそなかったが、佳奈は穏やかな気持ちで暮らしていたのだった。しかし、貴広にとっては、無言で暮らす毎日は、佳奈に対する明確な意思表示であったらしい。貴広は、2週連続で外泊した後、徐々に外泊することが当たり前になり、やがては、週のうち自宅に戻るのは週末だけというようなことになった。貴広が帰ってくるたびに、なぜ外泊するのか、どこへ泊まっていたのかと問いただしたが、貴広はずっと無言のままだった。

結果として、自宅に生活費を入れなくなってしまった貴広に対し、佳奈は弁護士を立てて離婚の手続きを始めることになった、その過程で知ったことだが、貴広は、佳奈が肥満したことが許せなかったらしい。貴広にとっては、結婚した当初、社内のマドンナを射止めたと同僚からうらやましがられることが何よりうれしかったそうだ。外泊をするようになったのも、会社で勤めていた頃の、若い男性社員のアイドルのような存在だった佳奈でいてほしかったのに、それが面影もないほどに太って身だしなみが緩くなっていったのが見ていられなかったと言っている。このような貴広の言い分を聞いた時、佳奈の中でマグマのような怒りの感情が湧き上がってきた。

「太ったのが嫌なら、そう言えばいいじゃない。私だって好きで太ったわけじゃないし、痩せようと思えば、いつだって痩せることはできた」。佳奈は、こぶしを握り締めて心の中で叫んでいると、弁護士の前で思わず涙がこぼれそうになった。こんなところで泣いている場合じゃないと、佳奈は自分を鼓舞した。弁護士によると、貴広が夫婦として協力して生活を営んでいくことを一方的に放棄した「悪意の遺棄」という行為に当たるということだった。慰謝料を請求することが可能という話だったので、弁護士と相談の結果、200万円の慰謝料を貴広が佳奈に支払うことで離婚が成立した。