<前編のあらすじ>

看護師だった美咲は病院で知り合った医師の健一と妊娠を機に6年前に結婚し、代々医者の一族である健一の義両親とともに、都内の一等地にある豪華な一軒家に住むことになった。美咲に対して義両親たちは最初はとても優しく接していたが、孫の性別が女であると分かった途端に、義母は「それは残念ね」と言い放ち美咲に対する態度は一変する。忙しい夫に相談できない中、義母からのキツい仕打ちに耐える美咲だったが……。

●前編:孫が女と分かった途端「残念ね」と言い放った義母… 元看護師が見た“格差婚”の闇

突然の母の来訪

母の早苗が訪ねてきたのは突然だった。

いつものように廊下の床を磨いていると、インターホンが鳴った。たとえ掃除中であっても、乱れた格好で玄関に出ることはるり子から厳しく禁じられていたから、美咲は慌てて手を洗い、玄関の姿見の前で乱れた髪を手櫛(ぐし)で整えて表情を確認した。

「はぁい」

務めて出した明るい声とともに扉を開けると、そこには早苗が大荷物を抱えて立っていた。

「やっほ、みいちゃん。たまがったか?」

手を振る早苗は膝の出る短い丈のワンピースにファーのついたロングコートを着ていた。細かいパーマをかけた髪は痛んでいて、毛先のほうがぼわっと広がっている。

田舎のスナックで働いて女手一つで美咲を育ててくれた母は、地元ではきれいでおしゃれだと言われているけれど、東京に出てくれば無理な若作りをして派手さとおしゃれをはき違えたとしか思えないくたびれたおばさんでしかない。

行き場のないランドセル

「お母さん、いきなりどぎゃんしたと?」

「どぎゃんもこぎゃんもなかたい。ゆりちゃん、来年から小学校上がるやろ? やけんお祝いしに来たと。ゆりちゃーん? おばあちゃん来たばぁーい」

「もうやめてよ。友理奈はいま幼稚園行っとるばい。ほら、中に入って」

美咲は早苗を家のなかに入れる。玄関で話し込んだことがバレれば、るり子が何を言ってくるか分かったものではなかった。美咲がお茶を用意しているあいだ、リビングでおろした荷物を早苗は次から次へと開けていた。

「まずは、ランドセルばい。今の子は黒と赤じゃなかよね。勝手にピンクにしちゃったけん、ゆりちゃん気に入るやろか」

早苗が紙袋から出した包み紙を開け、ソファの上でランドセルが入った大きな箱を抱えている。美咲の手からコップが滑り落ちて、床で砕けた。

「ばっ! なんしよっと⁉」

「ごめん、手が滑っただけだから大丈夫」

美咲はすぐにほうきとちりとりを出してきて、割れたガラスを掃除する。下を向いているせいか涙が出そうになった。

友理奈は確かに来年から小学校に上がる。けれど友理奈が通うのは幼稚舎からエスカレーターで上がる小学校で、ランドセルは男女関係なく指定の黒と決まっている。

「あのね、お母さん。友理奈は私立の小学校だけん、ランドセルとかは学校指定ので決まってて…… ごめんね」

美咲はガラスの破片をゴミ箱へと捨てる。早苗は音が鳴りそうなほどはっきりとしたまばたきをして、それからヤニでうっすらと黄ばんでいる歯を真っ赤に塗ったくちびるからこぼして愉快そうに笑った。

「あいたぁー、そうやったんかぁ。あたし、また先走ってもうたね。サプライズでたまがしゅうと思ったけんね。先にみいちゃんに相談すりゃよかったばい」

そうかそうか、と母はランドセルの箱を紙袋のなかへしまっていた。きっと母には友理奈が私学に通う可能性なんて思いつかなかったのだ。小学校といえば学区内の近所にあるもので、ランドセルといえば赤か黒。最近はランドセルもカラフルになっているというのが、母がキャッチできる最大限の情報と最大限の配慮だったのだ。

母の明るい振る舞いが、美咲をまたつらくしていた。ごめんね、お母さん。言葉はうまく声にならなかった。

「あら、淵辺さん。お久しぶりですね」

るり子の固い声がして、美咲はぎょっと振り返った。リビングの入り口には、健一たちが働く病院へ荷物を届けに出ていた和服姿のるり子がいた。

「お邪魔してます。勝手に上がってごめんなさいね。そろそろ帰りますけん、ご堪忍を」

荷物を抱えて立ち上がった早苗を、るり子が止める。

「そんなそんな。お夕飯くらい食べて行ってくださいよ。今日は健一たちも早く帰ってこられるようですから。ねぇ、美咲さん」

「は、はい。お母さん、よかったらご飯、食べて行って」

るり子から向けられたにこやかな顔に、美咲は背筋を伸ばして緊張していた。早苗は「そんならお言葉に甘えるけんね」と言ってから、照れるように、あるいは困ったようにへへへと笑った。

※九州地方の方言で「驚いた」「驚かそう」の意