母をバカにするのだけは許せない

「来ると教えてくださったら、ちゃんと用意したんですよ? こんなものでお恥ずかしいです」

いつもの5人に早苗を加えた6人で食卓を囲む。あの時間から献立を変えるのは難しく、美咲は当初予定していた通りカレーライスを用意した。

るり子の言葉は、突然やってきた母と、カレーなんて庶民的な食事で来客をもてなす美咲への嫌みでもあった。

「あたしカレー好いとりますけん。1人やと作りすぎますから、めったに食べんですし。それに、みいちゃんの作るカレーはばりうまかばい」

早苗はじゃがいもを頰張り「んーうまか」とほほ笑む。

「おばあちゃま、食べながらしゃべったらお行儀悪いんだよ」

「あいたぁ、ゆりちゃんは賢いけんねぇ。おばあちゃん、怒られてもうた。でもついついうまかでねぇ」

友理奈が言うと母は手で口を隠した。その大げさな身ぶりが面白かったのか、友理奈は笑う。健一も「お義母(かあ)さんがいらっしゃると、食卓が明るくなりますね」と一応は早苗のことを立ててくれた。

けれど正直、美咲は生きた心地がしなかった。早苗がおいしいと言ってくれるカレーもなんだか味がしなかった。視界の端で、るり子の表情だけを気にかけ続けていた。

「健一、それじゃあ普段の食卓が暗いみたいじゃないの。いやね。それに淵辺さん、友理奈に変なことを教えないでくださいね。まねするようになったら、恥をかくのはこの子なんですよ」

ほんの一瞬流れた和やかな空気はるり子の一言ですぐに凍り付いていく。

「でも水商売って、そういうマナーとかに厳しいものなんじゃないのかしら。それとも、やっぱり田舎の寂れたスナックは東京とは違うのかしらねぇ」

るり子が口元を押さえて笑う。早苗はへへと笑って髪をかく。

「東京と比べんでくださいよ」

「やっぱり、親に似るものなのねぇ」

気がついたときには、美咲は机をたたいて立ち上がっていた。

「どうしたの、美咲さ――」

「ふざけないでください!」

目を丸くするるり子の言葉を遮って、美咲はグラスのなかのワインをるり子の顔へとぶちまけた。ぴっちりと整えられた髪がぬれ、滴るワインがるり子の着物を赤いしみを作っていく。

るり子が支配していた空気に、深い亀裂が走っていく。

「私は、何を言われても平気です。でも、女手一つで私を育ててくれた母をバカにするのだけは許せない」

美咲は早苗と友理奈の手を取って立ち上がらせる。るり子は固まっていて、健一と義父は目線だけをきょろきょろと動かしている。

「ママ、手引っぱんないでよぉ」

「いい? 友理奈。こんな人たちと一緒に暮らしてたらね、心が腐ってバカになっちゃうよ」

「な…… っ」

るり子が固まった。美咲はその姿を見られただけで、少し胸がスッとした。

「それでは、熊本に帰ります」

美咲は2人の手を引いて家を出る。ちょっと待ってと早苗がワインを飲み干しているのが愉快で、美咲は思わず笑ってしまう。

こうして笑ったのはいつ以来だろうか。驚きのあまり静まり返っている食卓に、美咲のまっすぐな笑い声が響く。