もう戻らない
「考え直す気はないの。ううん…… そう言うけど、あなた何もしてくれなかったじゃない。だからいいの。友理奈のことはちゃんと相談するから。ちゃんと送ってね」
美咲は健一との会話を終えて電話を切る。狭く散らかったリビングで絵を描いていた友理奈が顔を上げて美咲を見ている。
「ママ、なぁに?」
「なんでもないよ。お城の絵、上手に描けたね」
「これがママで、これがおばあちゃん。これがわたし」
青く塗られた空の下、お城の前で親子三世代が手をつないでいる。
――戻ってきてくれないか。
健一はそう言ってくれていたし、誠意のつもりか頼んだ養育費だけはすんなりと払ってくれている。お金で人の気持ちすらどうにかなると思っているのが、あの家の人間らしいと美咲は思った。
けれど何をどれだけされようと、もうあんな家に戻るのは無理だ。美咲は今、送った離婚届にはんこが押されて戻ってくるのを待っている。
友理奈のこと。母のこと。自分のこと。
これから考えなければならないことはたくさんある。
けれどひとまずは。
娘が描いてくれた絵と同じように、美咲は白い歯をこぼして笑うことができる。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。