深沢裕子(43歳)は、担当医から「非常に残念ですが、これ以上の不妊治療はお勧めできません」といわれた時、視野が真っ黒になった。36歳から始めて、まる7年におよぶ妊活が無駄に終わったという現実を突きつけられ、体温が急速に低下していくことを心臓で感じた。視界が少し明るくなっても、目の前の医師がパクパクと口を開け閉めしている様子だけが網膜に映るだけで、どんな言葉かわからず、そもそも言葉があったことさえわからなくなっていた。それは、夫の直樹(43歳)も同じだった。その部屋には3人の大人が存在するはずなのだが、その瞬間は、3人が違う空間を漂ってぐるぐると回り続けているようだった。しかし、夫婦の苦しみは、その瞬間では終わらなかった。むしろ、そのショックは、それから経験する地獄の始まりに過ぎなかった。
キャリアの未来が開けた時、妊娠を先送りしてもいいですか?
裕子は、テレビ局に勤務していた25歳の時に結婚した。結婚した時は、直樹のことが好きで、一緒に暮らしていきたいからという単純な理由だった。大手建設会社に勤める直樹は、連ドラのプロデューサーになって歴史に残るような傑作を制作するという裕子の夢を応援してくれた。仕事の都合で、ロケ撮影の時など何日も帰宅できないことがあったが、スマホを使ってお互いの顔を見ながら会話した。その時も、直樹からは心から応援してくれている気持ちが伝わってきて、いつも励まされた。
裕子がちょうど30歳を迎えた年、裕子は局でドラマのヒットメーカーといわれている大物プロデューサーのチームに加えてもらった。裕子は自分の人生のキャリアが決定づけられる数年間を迎えたと感じた。それこそ寝食を忘れるくらいに働いた。チームで必要な人材として認めてもらえること、そして、なにより大物プロデューサーの仕事を間近に見て仕事ぶりを学びとることが重要だった。そのさ中に、裕子は妊娠した。かねてから子供を欲しがっていた直樹は大喜びだったが、裕子は素直に喜べなかった。今、この数年が自分にとっては大事で、こんな時に妊娠のために数カ月も現場から離れなければならないことは耐えられないと思った。そして、こんな気持ちでいる母親の下に生まれてくる子供もかわいそうだと思った。
ただ、妊娠がわかって2週間後に流産した。直樹は、裕子が身体をいたわらずに仕事を続けたことが原因だと激しく非難したが、裕子は妊娠してからは極力、むちゃな仕事の仕方をしないように気を付けたつもりだった。直樹には自分がどれほど身体に負担がかからないようにしていたかを繰り返し伝えたが、直樹は納得しなかった。一時期は、「自分のキャリアのために子供を殺した」とまで言われ、夫婦の仲がこじれた。それでも、裕子がその時に携わっていたドラマが大ヒットし、裕子の頑張りが形になっていることを知った直樹は、改めて裕子の仕事を応援すると言ってくれた。そして、夫婦で話し合った結果、裕子が35歳になるまで仕事を優先させることと、35歳以降での妊娠をより確実にするため、受精卵を冷凍保存することを決めた。