香ばしい香りが台所からリビングに広がっていく。この香りだけで頭がスッキリしたような気分になる。

成海はスマホを触りながら夫の泰輔がコーヒーを持ってきてくれるのを待っていた。

泰輔とは結婚して10年近く経つが、彼はとにかく凝り性でいろいろなものにハマってきた過去があった。

ここ最近のお気に入りはコーヒーだ。毎日の夕食のあと、どこからか買ってきたビンテージのコーヒーミルで、いろいろな産地の豆を挽き、コーヒーを淹れてくれる。

「はい、どうぞ。この豆は赤ワインみたいに熟した果実の香りがするんだよ。ネットでオススメされてたのを買ったんだけどどうかな?」

泰輔が得意げに運んできたマグカップを受け取り、成海はコーヒーを口に含んでみる。

「うん、美味しい」

成海は素直にそう答えた。けれど、赤ワインやら熟した果実やらの味わいについては、よく分からなかった。

泰輔はコーヒーをゆっくりと確かめるように飲んでいた。しかし顔はあまり満足そうではなかった。

「……うーん」

「あれ? 満足してないの?」

泰輔は難しい顔をして頷く。

「やっぱりプロが出してるものとは味が全然違うんだよね。同じ豆を使ってるところのコーヒーも飲んだけど風味から何から全然違う」

「そりゃ向こうはプロだもん。しょうがないって」

成海は励ましと呆れが入り混じった調子で声をかける。しかし泰輔は口元に手を当てて何かを真剣に考えているようだった。

「……やっぱり豆が全然違うんだろうな。焙煎した豆は鮮度が命だって言ってたから、焙煎したての豆だったらこんなに差が出ないのかもしれないな」

「そんなにこだわらなくても、十分美味しいコーヒー飲めて私は幸せだよ」

成海は本心からそう声をかけてみたが、泰輔はまだ真剣な表情で考えこんでいた。

成海はライターの仕事をしていて、泰輔はサラリーマンだ。

仕事はお互いに大変でもあるのでこうやって2人の時間を作れるのはとても良いことだと思っている。

コーヒーの趣味がそういう意味で役に立ってるのは有り難いなと思っていたが、これ以上泰輔がこだわり出すと面倒くさいことになるなとも感じていた。

どこかでブレーキがかかることを願いながら成海はコーヒーを飲んだ。