母の家を訪れた寿美
玄関が開く音に反応して、軽い足音が廊下を進んできた。
「寿美?」
薄暗い家の奥から顔を出したのは、薄手のカーディガンを羽織った母だった。白髪頭は薄くなり、頬は以前よりこけて見える。カーディガンもよく見ると毛玉だらけだ。寿美は、母の変化から目をそらすようにしながら靴を脱いだ。
「急にごめんね」
「いいのよ……でも、どうしたの? 帰ってくるなんて珍しいじゃない」
母は微笑んだが、その笑みはどこか弱々しい。台所へ向かう後ろ姿が、やけに小さく見える。
「うん……まあ、ちょっと顔を見に、ね」
えっちゃんからの電話の内容を伝える気にはなれず、曖昧に答えながら家に上がった。
居間の座布団に座ると、すぐに部屋全体が埃っぽいことに気づいた。テレビ台も、その上に飾られた写真立ても、うっすらと白くなっている。そしてどうしても目につくのは、部屋の中央にあるテーブルの上にある大量に積まれた封筒と書類の束。
「ちょっと散らかっててね」
少しばつが悪そうにそう言いながら、母は台所からペットボトルのお茶を運んできて寿美の前に置いた。心なしか手元の動きがぎこちない。
「ありがとう」
礼を述べつつも、寿美は不安に苛まれた。
「お母さん、家でお茶沸かさなくなったの?」
「……そういうわけじゃないんだけど、今はお茶っ葉切らしててね」
嫌な予感がして冷蔵庫を開けると、中には乾いたネギの束が1本とパックの惣菜がいくつかあるだけ。
「……お母さん、私……何か食べるもの、買ってくるね」
「いい、いい、そんなの悪いわよ」
「でも、これじゃなんにも作れないでしょう……」
「大丈夫大丈夫、なんとかなるわよ」
繰り返される「大丈夫」の奥で、黒い瞳が不安定に揺れている気がした。