智子の踏みにじられた心

「俺だって、家族のために頑張ってきたんだ。夜遅くまで働いて、休みだって削って。その頑張りをやっと認めてもらえるんだよ」

彼の言葉は正しい。でも、智子は胸の奥で叫んでいた。私だって同じだと。

「わかってるよ、佑輔が努力してきたのは。でもね、私にとっては自分の仕事だって大事なの。イベントの準備も、当日の運営も、私が抜けたら回らない。チームで動いてるけど、誰にでもできる仕事じゃないのよ」

まくし立てると、彼は黙って智子を見つめ、やがて苛立ったように小さく首を横に振った。

「でも、智子の仕事は……結局は娯楽でしょ? なくなったところで人は死なないじゃないか」

一瞬、頭の中が真っ白になった。心臓をぎゅっと掴まれたように痛い。

「……今、なんて言った?」

自分の声がかすれているのがわかった。佑輔はしまった、という顔をしたが、もう遅い。

「俺は……ただ、優先順位の話をしてるんだ。家族の生活を支えるためには、まず俺の出世が大事だろうって」

「じゃあ、私は何? ただのあなたの補助? 夫と息子のためにやりたい仕事を犠牲にして……それが当たり前だって言うの?」

涙が出そうだった。必死にこらえたけれど、胸の奥に澱のような重苦しさが広がっていった。

「違う……そういう意味じゃなくて……」

佑輔は言い訳のように呟いた。智子たちの間に流れる沈黙は、まるで分厚い氷の壁のようだ。

「……もういい」

そう言うのが精一杯だった。

その夜、智子たちはほとんど口をきかずに過ごした。テレビの音だけが聞こえる部屋の中、智子は夫の横顔を盗み見た。彼の眉間には深いしわが刻まれていて、後悔と苛立ちの両方が混じっている。一方、智子の胸に残ったのは「軽んじられた」という痛みだけだった。

●仕事を捨てるべきか思い悩む妻・智子。夫・佑輔にはキャリアを侮辱されるような暴言を吐かれてしまい…… 後編【「君がいなくなったら困る」夫の人事異動でキャリアを否定され八方ふさがりの妻を救った予想外の救世主! 】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。