朝の通勤電車は、いつもと変わらず混雑している。強すぎる冷房の風から顔を背けるように手元のスマホに視線を落とすと、SNSのトレンド欄には「7月2日 真ん中の日」という文字が並んでいた。

どうやら昨日の7月2日が1年のちょうど真ん中だったらしい。

吊革につかまりながら、輝子は思わず小さく息を吐く。

大学を出てから10年。仕事はそれなりに上手くいっている。今の給料に大きな不満はないし、職場の人間関係も恵まれている方だと思う。だが、そんな環境にありながらも、心は常に乾いている気がしている。

家と会社を往復し、休日は寝てばかり。YouTubeを眺めることで時間だけを浪費する。

要するに、輝子には熱中できるものがなかった。

年始に人知れず掲げたはずの「今年こそ趣味を見つける」という目標は、いつの間にか日常の中に埋もれてしまった。過ぎていった時間を認識したことで漠然とした焦燥感が頭をもたげた。

「おはようございます」

まだ人が疎らなオフィスに着くと、自然と後輩たちの会話が耳に入ってきた。

「木波さんって、週末に山登ってるらしいよ。テント担いで縦走とかするらしい」

「へえ、ガチ勢じゃん。なんか山男って感じ」

彼女たちが話題にしているのは、この春転職してきた木波さんのことだ。

一見寡黙で無愛想な印象を受けるが、話してみると案外柔和で協調性の高い性格だとわかる。前職は全くの他業種と聞いているが、仕事覚えも良く、周りとも馴染んでいて、ふとしたタイミングで的確な一言をくれることも多い。

登山と聞いて、妙に納得がいった。あの落ち着き、地に足がついた感じは、山で培われたのかもしれない。

給湯室でコーヒーを淹れていると、その木波さんに声をかけられた。

「佐藤さん、今度、みんなで低山ハイクに行きませんか?」

マグカップを持ったまま、輝子は一瞬きょとんとする。

「え、あ、登山……ですか?」

「はい、今何人かに声をかけさせてもらってて、たぶんメンバーは5、6人になると思います」

木波さんの説明を聞いて合点がいった。今朝、後輩たちが登山の話をしていたのは、彼に誘われたからだったのか。

「でも私、登山なんてほとんど経験ないですよ。小学校のころ、自然体験学習でハイキングに行ったくらいで」

「大丈夫です。初心者でも登りやすいところだから。天気が良ければ眺めもいいし、自然の中でリフレッシュできますよ。もちろん無理にとは言いませんが、どうです?」

言葉を選びながら話す木波の声には、不思議な心地よさがあり、輝子は戸惑いつつも、「行ってみたいです」と答えていた。

「良かった。それじゃ、あとで詳細送りますね」

「はい、よろしくお願いします」

笑顔で給湯室を出ていく木波さんを見送りながら、輝子は久しぶりに高揚感を覚えていた。