里砂子はベッドサイドに置いてあるティッシュケースへ手を伸ばす。しかしつい2日前に新しい箱を下ろしたはずのティッシュはすでに空になっていた。
体が重かった。目やにも出ているせいか目がろくに開かず、頭も痛い。なんとか体を起こしてベッドから足を下ろすと、置いてあったゴミ箱につま先が引っ掛かり、中に入っていた大量の丸めたティッシュが床に吐き出された。
「最悪」
里砂子はつぶやいて、乱暴に目をこすり、床を散らかしたティッシュを拾う。下を向いていると鼻水が垂れてきて、寝巻きのスウェットにしみを作った。
毎年2月ごろから舞い始めるスギ花粉は、里砂子にとって人生の宿敵だった。
花粉症になったのは小学生のとき。暖かくなってきてクラスメイトたちの外遊びが捗りはじめるなか、里砂子はくしゃみや鼻水が止まらなくなった。病院にいくと、すぐに花粉症の診断を受けた。里砂子の父も母も花粉症だった。
とはいえ、毎年の症状には波がある。ここ数年はマスクをして、家の出入りの際にきちん上着から花粉を振り落とせばなんとかなっていた。たまに症状が強く出たとしても、市販の薬を買ってきて飲んでおけば問題なかった。
だが、今年は例年以上に花粉が多いと言っていた予測通り、里砂子の体調はスギ花粉による大打撃を受けていた。
鼻水、くしゃみ、目のかゆみ、頭痛――そして、強烈な倦怠感。ここまで症状が重いのは初めてのことだった。
重力に負けてしまいそうな体を2本の脚で支えてリビングへ向かう。ちょうどスーツへ着替えを終えた健一が家を出るところだった。
「おはよう。しんどそうだね」
「ちょっと今日は会社休もうと思ってる……」
今日は金曜だから土日も併せてゆっくり休めれば、週明けには体調も多少よくなっているだろうと思った。しかし健一は目を丸くしていた。
「え、花粉症でしょ? 大丈夫なの?」
「うん、病院で薬もらってるし、たぶん」
「いや、そうじゃなくてさ、仕事のほう。花粉症くらいで休むなんて、周りの人たちに迷惑かけすぎなんじゃないってこと」
「ああ、ね」
里砂子は表情筋を動かすのすら億劫だったが、そう曖昧に笑っておく。
そうだった。花粉症のかの字も知らない健康体の健一は、里砂子の苦しみに対して一切の共感も心配も示さない、そういう冷酷なやつだった。