プライベートで使っているアウトドア用のカジュアルなリュックサックにスーツ姿は明らかにちぐはぐで、出勤中の真也は窓に映る自分に深いため息を吐いた。これではまるで新入社員だ。もうじき10年目を迎え、ベテランの域に入りつつある中堅社員として、シンプルに格好がつかないなと思った。
もちろんこうなったのには理由がある。真也の記憶には残っていないが、状況証拠は雄弁だった。
先週末の金曜日、他部署も交えた会社の大きな忘年会があった。年末の駆け込み仕事のせいで疲れがたまっていたのか、単に飲みすぎたのか、いつも以上に泥酔した真也は、土曜の朝、スーツのまま家の玄関で目を覚ました。12月だというのにコートすら着ておらず、お気に入りのイギリスのブランドのかばんもどこにも存在しなかった。もちろん中に入っていた同じブランドの財布も一緒に消えていた。会社のPCや書類などを持っていなかったことと、社員証がスーツジャケットの内ポケットに入っていたことは幸いだったが、現金にクレジットカード、免許証などの身分証はかばんと一緒にまるごとなくした。
ショック、などという簡単な言葉では、このときの真也の心情は表せない。お酒を覚えたての大学生ならまだしも、真也は今年で32歳。一昨年に結婚し、春になれば子供だって生まれる。当然、玄関でたたき起こされた朝、妻にはこっぴどくしかられた。
その後、真也の土日は遺失物の対応に追われているうちに終わったことは言うまでもない。一応店に連絡を入れ、何も届いていないことを確認し、交番や駅に届けを出し、クレジットカードやキャッシュカードを電話で片っ端から止めていく。もちろん土日のため連絡がつかないカード会社もあるため、これらの対応はまだ終わってすらいない。日曜日の運転免許再発行は、全国のあちこちでやっているクリスマスのイベントのにぎわいがかわいく思えるくらいに混みあっており、ほぼ丸1日がつぶれた。
休日にも関わらず自業自得の疲労感を抱え込んだ真也は、なくしたかばんの代わりに仕方なくプライベートで使うリュックサックを引っ張り出し、取り急ぎカビだけ取り除いたよれよれの革財布に現金を入れ、月曜の朝を迎えたというわけだった。