朝から役員に呼びつけられて…

オフィスのエントランスを通り、エレベーターに乗り、フロアへ上がる。なんだか向けられる視線がいつもより多い気がする。それに鋭くて、遠い。すれ違いざまに掛けられるあいさつも、一歩退かれているような印象がぬぐえない。

何かがおかしい。

真也の嫌な予感は、所属部署である人事部のオフィスに到着した瞬間に確信へと変わった。

「おはよー…………ございます?」

思わず語尾が上がって疑問形みたいになってしまったのは、真也が入室するや全員の視線が真也へと集まり、そして同時にそらされたからだった。

「おはようございます……」

今度は声を潜めながら、となりのデスクに座る秋元にあいさつをする。秋元は表情に乏しいながら、丸眼鏡の奥で好奇の目を真也に向けていた。

「おはようございます。ヤバいですよ、瀬戸さん」

「ヤバいって何が」

わざとらしく声を潜めて返してきた秋元に合わせ、真也もボリュームを一段と下げて聞き返す。

「え、覚えてないんですか? ふふふ」

含みのある笑いに、真也は不安になる。

「金曜の忘年会、瀬戸さんかなーり荒ぶってましたよ?」

「あ、荒ぶってた……?」

秋元に手招きされるまま、真也は顔を近づけ耳を寄せる。ごにょごにょごにょ。かくかくしかじか。ごにょごにょごにょ……。秋元のひそひそ声が耳に入り込んでくるのに比例して、真也の全身から血の気が引いていった。

「まじか」

秋元から耳を離し、椅子の背もたれに寄りかかった真也はため息とともにそれだけ漏らした。血の気の引いたからだは冷たく、力が入らないくせに、心臓だけがやけに勤勉に脈打っている。胸に響く鼓動は、自分を焦らせるためだけにあるドラムロールのようだった。

荷物の紛失だけではなかった。かいつまんで言えば、どうやら泥酔した真也は管を巻きながら、役員の松井に絡みまくったらしい。しかも吐き出したのは暴言の数々。しまいには説教を始めて、会場を騒然とさせたとのことだった。

「終わりましたよ~、瀬戸さん。ふふふ」

「やめてくれ……」

真也は泣きそうな顔で言って、天井を仰ぐ。いや、実際泣けてくる。だいぶ。これまで色んな思いをのみ込みながらなんとか働いて築いてきたものが、たった一晩、数パーセントのアルコールであっけなく崩れ去ったのだ。上を見ていないと涙がこぼれてしまいそうだった。

「わ」絶望に浸る真也のとなりで秋元が声を出す。「うわさをすればなんとやらですよ」

秋元の視線をなぞってオフィスの入り口に目をやった。役員の松井が立っていた。もちろん、週明けのこんな朝早い時間に役員が人事部のオフィスを訪れる理由は存在しない。普通なら。

「瀬戸、ちょっといいか」

松井の声が響き渡り、真也には絶望が、それ以外の社員には緊張と好奇が広がっていく。

「瀬戸さん、ファイトです」

立ち上がった真也に、横から秋元の声がかけられた。こいつ楽しみやがってと思ったが、軽口を返す気力は当然なかった。

●絶体絶命の真也に松井が告げた言葉とは――。後編「ずいぶんと偉そうなこと言ってましたよね?」泥酔した忘年会で役員に暴言を吐いた平社員の「想定外すぎた末路」】にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。