家に忘れちゃった
「みんな~、ハッピーハロウィーン!」
明日香が教室に飛び込むと、子供たちのにぎやかな声が教室を満たした。
「ハッピーハロウィーン!」
「先生、魔女似合ってる!」
口々に叫ぶ子供たちは、明日香の中にわずかに残った羞恥心を吹き飛ばしてくれる。子供たちはみんな、思い思いのカラフルな装いだ。人気のスーパーヒーローや動物、妖精、中にはアニメキャラクターに扮(ふん)している子もいた。どの子も教室で仮装をするという非日常的な状況に興奮し、目を輝かせていた。
小学3年生といえば、心身ともに大きく成長する時期にあたる。思春期の手前にいる彼らが素直にハロウィーンパーティーを楽しんでくれるか不安だったが、そんなものは明日香の取り越し苦労だった。
「みんな準備万端みたいね。今日は、ハロウィーンに出てくる英語のフレーズを使って、いくつかゲームをしようと思います。それじゃあ、まずは協力して机を後ろに移動させましょう」
「はーい!」
明日香は元気いっぱいに返事をして動き出す子供たちを見渡した。机を移動させると、子供たちは前に集まってくる。衣装は量販店などで売っている子供用のコスプレセットを着ているものもあれば、自前の黒っぽい服で工夫を凝らしたもの、なかには手作りと思われる手の込んだものもあった。
教室を見渡していた明日香の目に、みんなの輪から外れたところに立っている山下悠里の姿が留まった。他の子供たちはみんな仮装を楽しんでいるのに、悠里は普段通りの私服姿だ。さらにみんながお菓子を広げている机の上にもペンケースが置いてあるだけだった。
明日香は悠里に歩み寄った。
「山下さん、どうしたの? 仮装は?」
明日香が言葉穏やかに声をかけると、悠里はうつむいたまま静かに首を横に振った。
「家に忘れちゃった……ごめんなさい、先生」
明日香が事情を聞けば、用意した衣装もお菓子も全部家に忘れてきてしまったという。悠里は明日香の知る限り、とても真面目でおとなしい子だった。明日香が担任になった今年の春以降、宿題や持ち物を忘れたことはない。だから9月から準備するように伝えていたハロウィーンパーティーの衣装やお菓子を忘れてしまったことは意外だった。
「そっか……。でも忘れちゃったものは仕方ない。今日は特別に先生の帽子をゲットだ。ほら、みんなと一緒にゲームの準備しよう」
わざと冗談めかして声をかけながら魔女の帽子を悠里の頭に乗せた。しかし彼女の顔が晴れることはなかった。
「先生、ありがとうございます……」
「いいのいいの。山下さんはどんなお菓子好きー?」
「クッキー」
「クッキーかぁ、おいしいよね。はい、あげる」
明日香はポケットからクッキーを取り出して、悠里に差し出す。クッキーを受け取った悠里を、みんなの輪のなかに連れていった。胸の奥のほうで引っ掛かっていた違和感は、子供たちの騒がしい声がすぐにかき消していった。
仮装パーティーは大好評のうちに終わった、と言っていいだろう。ハロウィーンにちなんで用意したいくつかのゲームを行い、景品に明日香が持ってきた少し豪華なお菓子を配ったり、子供たち同士でお菓子の交換をした。最初は気がかりだった悠里も、そのうちにいつもの調子を取り戻していった。
ほんの少しだけ、誰かに衣装やお菓子を隠されたりしたのではないかと邪推もしたが、そんなこともなかった。
念のため、各家庭の親御さん向けに書いている連絡ノートに今日のことを書き記し、楽しかった1日を終えた。