明らかに発達が遅れてる感じ

「ねえ、小百合のことなんだけどさ、何か言葉の発達が遅いような気がするんだよね……」

ビールを一口飲んで、夫の孝は眉をひそめる。

「何それ? そんなの感じたことないけど?」

「うそでしょ? だって小百合ってまだ単語をつなげてしゃべってるって感じじゃない。同じ年のほかの子なんて、もうしっかりと文章で自分の思ってることとか気持ちをしゃべってるんだよ」

理香子は真面目な気持ちで相談していたが、孝の反応は鈍い。

「そりゃ、そうなのかもしれないけどさ、他の人よりもちょっと言葉がたどたどしいってだけだろ。皆がつらつらしゃべれるわけじゃない。ウチの会社にだって、もう大人なのに、分かりづらい言い方をする人っているよ」

「そんな個人差とかのレベルじゃないんだって。明らかに発達が遅れてる感じなの。まだ周りの子たちとかママさんたちは分かってない感じだけど、もうすぐ小学校なのに、話し方でいじめられるかもしれないし……」

「大げさだって。そんなのあるわけないよ」

孝は笑い飛ばす。しまいには2本目の缶ビールを空け、スマホでYoutubeを見始めてしまう。これ以上話しても意味はないと悟り、理香子は深くため息を吐く。

理香子は小学3年生のとき、父の仕事の都合で大阪に転校をしたことがあった。標準語を話していた理香子は、そのことをひどくからかわれてつらい思いをした。たった2年の大阪生活だったが、東京に戻ってきてからもしばらくは関西弁を聞くだけで身体がこわばってしまった。孝には子どものそういう残酷さが想像できないのだ。何も分かっていなかった。

「ねえ、それ飲んだら、洗い物よろしくね」

「分かってるよ」

孝はめんどくさそうに答える。理香子は小百合の出産で仕事を辞めて以来、専業主婦をしている。それでも家事や育児はできる限り分担するというのが、夫婦2人で決めたルールだった。

「あ、そうだ。今日のゴミさ、袋の口がちゃんと縛られてなくて、ゴミ捨場でこぼれちゃって大変だったんだよ。生ごみじゃなくて助かったけど、次からしっかり頼むよ」

「ああ、ごめん」

キッチンに向かった孝に言われて、理香子は小さくため息を吐く。この家にはキッチン、リビング、洗面所、寝室にそれぞれゴミ箱が置いてある。出勤のときに捨てればいいからと孝が引き受けてくれたゴミ捨てだったが、彼がやるのはまとめられて玄関に用意されたゴミ袋をゴミ捨て場に出すだけで、家じゅうのゴミを集めてひとまとめにするのは理香子がやっている。

(やろうとはしてくれてるんだけど、ね……)

家事も不十分で、小百合のことには無関心。喉の奥あたりまでせりあがった不満を、理香子はビールで流し込んでなかったことにする。