母が残した最後の詩
翌日、有紀は実家へと帰った。リビングを見ると、いつものように母がお気に入りの座椅子に座ってテレビを見ているかのような錯覚に陥る。もちろん、そんなわけはなく、家の中はしんと静まり返っている。
家の至る所に礼子との思い出が染みついていて、目頭が熱くなる。しばらくしたら、この家ごとなくなってしまうと思うと、胸が締め付けられる。このままでは、まともに作業ができないと思い、座布団を敷き、居間の定位置に座る。礼子とのいろいろな思い出を反すうしながら、気持ちを落ち着ける。たとえ家やものがなくなったとしても、思い出はいつまでも頭の中に残り続ける。そう思うと、気持ちが少しだけ軽くなった。
何度か深呼吸してから立ち上がった有紀は、真っ先に礼子の寝室に向かった。寝室のドアを開けると、礼子が好きだったお香の匂いがまだ残っていた。押し入れを開けて、段ボールを取り出す。中にはアルバムや礼子の趣味だった詩集などがたくさん出てくる。
「これは骨が折れそうだな」
あえて口に出してみた言葉は、当然返事が返ってくるはずもなく、静寂に飲み込まれて消えていく。作業に取り掛かり始めた有紀は、残すものと処分するものを仕分けているなかで、一冊の古ぼけた手帳を見つけた。
有紀は、礼子が手帳によく何かを書き込んでいるのを覚えていた。中身が何かまでは聞いたことがなかったので、有紀は興味を持って中身を確認した。手帳に中身はほとんどが詩だった。詩を読むのが趣味なのは知っていたが、創作にも励んでいたらしい。ひと通り中身を確認し終えて、有紀はまだ礼子が入退院を繰り返すようになる前も礼子が手帳を持ち歩いていたことを思い出した。
「……最後につけていた手帳はどこにあるんだろ?」
有紀は遺品整理を脇に置いて、最後の手帳を探した。目当ての手帳は化粧台の引き出しの中に入っていた。
礼子が最後にどんな詩を残したのか気になった。手帳をパラパラとめくっていたとき、とあるページで有紀の手が止まる。
「え……?」
そのページには〈墓200万〉と書かれ、それを消すように大きなバツ印が記してある。さらにその下には、明らかに母の流麗な字で、1つの詩が残されていた。
〈立つ鳥が跡を濁さぬように、私もまた有紀の重荷とならないように飛び立ちたい〉
〈金も手間も、全て置いて飛び立ちたい〉
礼子は自分の死期をなんとなく悟り、墓についても調べたのだろう。そのときの思いが手帳には記されていた。
「……だから、散骨がいいなんて言ってたのね」
有紀は愛でるように礼子が書き残したメモをなでる。
「それなら、そうと言ってくれればいいのに……」
触れた文字から礼子の思いが流れ込んでくるようで、有紀はまた涙を流した。
突然、墓は要らないと言い出したときは困惑したし、自分たちの思いが伝わらないもどかしさがあった。しかしその裏には自分や利喜への思いやりがあったとようやく知ることができた。