母親の死
2020年11月。もともと「間質性肺炎」という難病を患っていた76歳の母親は、風邪をこじらせて入院し、在宅で酸素吸入が必要になる。
在宅で酸素吸入をする生活は、空気清浄機をひと周り大きくしたサイズの「酸素濃縮器」を中心に営まれる。機械から出た長いチューブに連結した「カニューラ」という細い管を鼻に挿入して、酸素を取り入れるのだ。
チューブの長さは家の中で一番遠い場所の距離で決まる。下島さんの母親の場合は、ベッドから風呂場までの10mだった。10mの管を引き摺りながらトイレや洗面、入浴、時には家事をする。
外出する時は酸素ボンベを使い、母親の場合は2時間半で1本使う計算で、持ち歩くボンベの数を決めていた。
「ズルズルと何メートルもある管を引き摺って歩くのは大変だと思います。それでも普通は慣れればできることだと思いますが、母は2年を過ぎても、うまく管を捌いて歩けませんでした」
最も苦戦していたのは着替えだった。
「繋がった管とカニューラを一旦外して襟首に通してから繋ぎ変えなければいけないんですが、外した管が服に絡まることがあるんです。それを解く作業は全然難しくないのですが、母は半泣きになりながら管と格闘していました」
一方、89歳の父親は2023年12月、床に敷いてあったペットシーツに足を取られて尻もちをつき、圧迫骨折。ペットシーツは母親が尿失禁したため、応急処置で下島さんが敷いたものだった。
圧迫骨折は手術した翌日には歩いて帰れるような軽いものだったが、手術前日に誤嚥性肺炎になり、手術は延期され、そのまま入院に。やっと手術ができたものの、今度はコロナや尿路感染症にかかり、術後のリハビリが進まず、すっかり足が弱ってしまう。要介護3の認定がおりたため、4月からはショートステイを利用しながら特養の入所を目指すことになった。
そして母親は2024年5月の連休後に体調が悪化。
20日に緊急入院すると、翌日からモルヒネ投与が始まり、25日に亡くなった。79歳だった。
「葬儀の出棺のとき、寄せ書きをした布をかけて棺の封をしたのですが、そこに夫が『娘さんのことは心配しないでください』と書いてくれました。困った時はいつも夫が助けてくれました。彼がいなければ介護を続けて来られませんでした。母を亡くして、今になって母なりに私を愛してくれていたんだと思えるようになってきました。気づいたところでもう伝えることができず、母ロスから立ち直れそうにもありません……」
介護後の娘の未来
両親の介護が始まった時、両親には約1000万円の貯金があった。しかし約12年経った今、貯金はゼロだ。
「介護に必要な物を買ったり、認知症になってから頻繁に外出したがるようになった父を連れて旅行に行ったりしているうちに、使い果たしてしまいました。両親の年金と旦那の給料の範囲でのやり繰りができず、崖っぷちの自転車操業をしています」
まだ母親が存命な頃は、両親の年金と夫の給料を合わせて、収入はひと月約48万円。支出はひと月45〜46万円だった。
「車2台分の車検や税金の支払い、親族の香典やお祝い金など、まとまったお金が用意出来なかったことが借金に陥った要因です。どう考えてもここから自分たちの老後資金を貯められそうにないので、『老後破綻』を覚悟しています。全て私の経済観念の甘さが原因だと思います」
(公財)生命保険文化センター「2021(令和3)年度生命保険に関する全国実態調査」によると、介護にかかるひと月の費用は、平均8万3000円という結果になっている。1年あたりだと99万6000円。下島さんの場合、12年なので1195万2000円だ。ここには住宅を介護しやすくするリフォーム代や介護用ベッド代など、一時的にかかる費用は含まれていない。さらに、下島さんは両親2人の介護をするため、約12年間働きに出ることはできなかった。こうしてみると、約1000万円あった貯金がゼロになっていても不思議ではない。むしろ、親の貯金では介護費用が賄いきれず、介護する子ども世代の持ち出しになることに問題があるのではないか。
「私は介護福祉士の資格を持っていますが、経験は半年ほどのみです。介護は辛いことのほうが多かったですが、この経験や専門職の方々から受けたアドバイスを、仕事に生かしていければと思います。年齢的に何年続けられるかわかりませんが、利用者だけではなく家族の気持ちにも寄り添える介護士になれるよう頑張ってみたいです」
下島さんは、元気なうちに夫と京都へ旅行に行くのが夢だ。介護のキーパーソンであったとしても、1〜2泊の国内旅行くらい些細な夢なら、時間的にも経済的にも、いつでも叶えられる社会であるべきではないだろうか。