岸本美穂(38歳)は、古い保険契約書のファイルを倉庫に戻しながらため息をついた。契約書で確認できたのは、10年前に契約を更新しなかったために、2年前に保険契約が終了しているという事実だった。なぜ契約を更新しなかったのか、美穂が管理を引き継ぐ前の出来事であり、その事情はわからなかった。ただ、これによって、マンションの1階を貸しているミニ・スーパーに対する水漏れ被害の損害賠償と、水漏れの修復の工事代金、そして、スーパーの休業補償(2週間分)については、ビルのオーナーで、美穂の実家である市田家が負担しなければならないということになってしまった。
農家から不動産オーナーに! 悠々自適のはずが…
市田家は、東京の板橋区に商業ビル1棟と30戸が入居しているマンションを1棟、そして、練馬区に戸建ての住宅を所有していた。商業ビルは5階建てで1階~4階までを事業会社に貸し、美穂たちの一家4人がそのビルの5Fで暮らしていた。市田家は、祖父の兼高(故人)が農地を売却したことを機に、貸しビルとマンションを購入して現在の資産を作ったのだった。父親の光一(69歳)は不動産事業については祖父の仕事と割り切っていて関心が薄かった。父は区役所の職員として定年まで勤め、現在は練馬で兄家族とともに暮らしていた。
美穂の夫の達也(38歳)はサラリーマンで年収が400万円程度だったが、生活には余裕があった。美穂が宅建の資格を活かして市田家の不動産管理業務を引き受けることを条件に、今の住居を無料で使うとともに、美穂にも毎月10万円の手当が出ることになったためだ。とはいえ、子どもが2人いれば、年々出費もかさんでいく。小学校に通う2人の息子は、地元のサッカークラブに所属していたが、兄の悠斗(10歳)には、英語塾に通わせる話が進んでいて、教育費の負担が重くなってきていた。
美穂たちは、将来を考えてNISAを使った資産形成を始めた。目標は家族4人がそれぞれ限度額いっぱいの1800万円の金融資産をつくることだった。そのため、現在のビルに引っ越して家賃負担がなくなってから、それまで家賃にあてていた資金を4等分して1人当たり毎月3万円の積み立て投資を始めた。子供たちの分は、将来、彼らが留学したいと言い出したり、何かお金が必要になったりした時に、それぞれの子のために使おうと思っていた。美穂は、夫婦で合わせて3600万円をNISAで作ることができれば、老後の生活には困らないだろうと思っていた。