力がなくてもボールは飛ぶ
毅が目を覚ましたのは朝の5時。いつも早起きだが、気がはやっているせいか、今日は特別に早かった。
試合の開始時刻は午後1時。散歩にでも行けたらなと思うが、外出許可はおりず、毅は昨日のうちに佳枝に持ってきてもらった文庫本を読みながら暇をつぶしていた。
目頭をもんで伸びをしていると、ノックされた扉が開いた。朝食の時間かと思ったが、入り口に立っていたのは看護師や医者ではなく、ユニホーム姿の俊太郎だった。
「じいちゃん、大丈夫?」
驚く毅の横に俊太郎は腰を下ろす。
「元気そうで良かったよ」
俊太郎は毅に笑いかける。だが、毅は俊太郎の訪問を喜ぶ気持ちにはなれなかった。
「な、何をやってるんだ?」
「何ってお見舞いじゃん」
「今日が何の日か分かっているのか?」
毅の問いに俊太郎は目をそらした。
「……別に俺がいても意味ないし」
「違うだろ。チームで戦ってるんだ。ベンチに入っている人間は、アルプスにいるみんなの思いを背負ってるんだ」
俊太郎は首を横に振る。
「そうかもしれないけどさ、けがして試合に出れないんじゃただの荷物じゃないか。俺のバッティングになんて期待されてないんだよ」
「バカなことを言うな!」
毅は思わず怒鳴ってしまった。俊太郎は目を見開く。
「皆、お前が勝利に必要だからベンチに入れてるんだよ。そのお前がそんな気持ちでいてどうする? チームを助けるのが俊太郎の仕事だろ?」
しかし俊太郎の表情は浮かない。
「でも、俺、この2週間、ろくにバット振ってないし。右肩だってこんなだし」
「違う。俊太郎、思い出せ。どれだけたくさんバットを振り込んできた? たかが2週間くらいでさびつきやしない。それに昔、バッティングのトレーニングをしに、打ちっぱなしに行ったのを覚えてるか?」
俊太郎がうなずく。
「バッティングセンターじゃなく、ゴルフをさせたはずだ。あそこで俊太郎はゴルフ未経験にもかかわらず、球を遠くに飛ばしてたじゃないか」
「それは覚えてるよ……」
「いいか、球を飛ばすのは腕じゃない。足腰だ。そして球にどれだけ回転を加えられるかが、大事だって話をしたろ?」
俊太郎はハッとした表情になる。
「うん。きちんとした回転を与えないと、どれだけきちんと当てても球が前に飛ばないって言ってたよね」
「そうだ。俺もな、バッティングは苦手中の苦手だったんだよ。それは高校で野球を引退するまで払拭することはできなかったよ。でも、働くようになって付き合いでゴルフをするようになって、回転の大事さを知った。きちんとバックスピンをかければ、ボールは力がなくてもしっかりと飛んでくれるんだ。そのことを俺はお前に教えたはずだ。人さし指は支えるだけで良いんだ。大事なのは足腰なんだよ」
そこで俊太郎の顔つきが変わったことに気付く。もう何も言う必要はないと分かった。
「ありがとう、おじいちゃん。それじゃ、俺、今から行ってくるよ」
「ああ、球場で応援できなくて悪いな」
「大丈夫だよ。明日には退院できるんでしょ?」
毅はしっかりとうなずく。それを見て、俊太郎は白い歯を見せて笑った。
「じゃあ、決勝には間に合うじゃん」
それだけ言い残して俊太郎は病室を出て行った。