副島愛美(37歳)は、共働きで2人の子供を育てている。子供の将来を考えて新NISAで積み立て投資を始めた。子供たちが18歳になった時、その資産を自由に使って自分の意志と力で将来を切り開いてほしいと思っていた。ある日、愛美は職場の部門長である稲山学(53歳)から受けた電話を切ると、冷や汗で背中に張り付いたブラウスを強く意識した。電話の途中からしびれるように震えだした手は、まだ、震えが止まらなかった。愛美は、自分が会社のルールを破って欠勤の連絡を稲山に直接行っていなかったことについては、言い訳のしようもないと思っていた。ただ、決して無断欠勤したわけではなかった。欠勤の連絡はしていたのだが……。

長女の時は上手くいったのに…予想外の「2人目の壁」

愛美は、長男の優斗(5歳)がたびたび発熱して会社を休まなければならなくなってしまうことに、困り果てていた。長女の結乃(7歳)の時は、風邪をひくことがあっても、年に数回で、愛美が会社を休まなければならないようなことはほとんどなかった。ところが、優斗は1カ月の間に何度が発熱して保育園を休むことになった。保育園に通い始めた子供が病気がちになることは良くあることだが…。

保育園に通い始めて半年を経過した頃、よく熱を出す優斗に、夫の隆弘(39歳)も心配して小児科で有名な大学病院で本格的な検査を受けさせた。しかし、病気らしいところは見つからなかった。「精神的なものでしょうから、しばらく様子を見てください」といわれ、それからすでに1年あまりが経過しているのに、優斗の様子は一向に変わりがなかった。

子供の病気を理由に、たびたび会社を休む愛美は、徐々に会社での居場所を失くしていった。後輩の若い女子社員の間では、愛美は「子持ち様」と呼ばれているようだった。愛美は同期入社の佐藤沙知(38歳)から、愛美のチームの若い女子社員の数名が工場長の稲山に対して、愛美の配置替えを要求したということも聞いた。たしかに、愛美が勤めるアパレル会社の縫製工場では、ベテランになった愛美らの世代は、グループのリーダーとして勤務のシフトや作業スケジュールの調整などを任されていた。そのリーダーが突然、欠勤ということになると、その日の作業の割り振りが混乱することになった。このため、愛美は優斗がたびたび体調を崩すようになってから、翌日の仕事の段取り表をノートに書いてから帰宅するようにしていた。

そのノートは、グループのサブ・リーダーの吉田美代(31歳)とともに同僚の沙知にもわかるようにして、翌朝、万一にも優斗が発熱して休むようなことがあったとしても、その日の作業が滞ることのないようにしていた。沙知は、愛美の苦労を理解してくれ、愛美の休みの時には、愛美のグループにも目配りをしてくれていた。