吉住颯太(41歳)は、登録していた転職サイトからのスカウトメールの内容を改めて確認した。メールをもらってから5日が経過しているが、その内容を1日数回は確認することが習慣のようになっていた。そのメールでは年収が現在の3割増が約束されていた。そして、就労後の業績によっては、それ以上の待遇にステップアップする内容が示され、最初の面談日は2週間後の午後1時が指定されていた。吉住は、そのメールを受け取った日に、自身のスケジュールを確認して有給申請をあげていた。ちょうど、会社から有給消化を勧奨する通達が出て間もないタイミングであったため、吉住の有給休暇はすぐに承認された。「一度きりの人生。これは大きな転機かもしれない!」と吉住は身体を熱くして思った。ちょうど、新NISAがはじまり、投信を使った積立投資を始めたところでもあった。その積立投資が順調に含み益となって幸先が良いと思っていたところで目にしたスカウトメールに、吉住は何か運命めいたものを感じていた。
老舗企業がむしばむ中間管理職のやる気
吉住は、地方都市で地域ナンバーワンの実績を誇る創業90年の土木会社の設計部門に勤務していた。同期入社の中では出世は早い方で、出世頭で営業部門の課長職に就いた加藤純也(41歳)に次ぐ地位の課長代理になっていた。設計部門を統括する常務からは酒の席ではあったが、「これからの設計部門は吉住が背負って立て」とはっぱをかけられたこともあった。仕事の内容にも処遇にも特に不満はなかったが、会社の体質に耐えられないところがあった。
「昭和的」なのだ。会社は社長の祖父が創業し、現社長で3代目だが、2代目を支えた幹部社員らが残っていて口うるさいしゅうとのように現場の社員が打ち出す施策に異を唱えた。その者たちは「先代の時には」というのが口癖で、若い社員からは「先代さま」と呼ばれて嫌われていた。吉住の勤める設計部門にも「先代さま」がいて、完成間近の設計図に小さな設計変更を持ち込んできて作業を遅らせた。
吉住たち中堅社員は、今では自分たちが会社を背負って立っているという自負があった。ところが、年功序列を尊ぶ社風から、「先代さま」が何かと先輩風を吹かせて、大きな顔で居座っていた。吉住は、「先代さま」の効用をすべて否定はしなかった。重箱の隅をつつくような指摘によって設計を一部変更したことによって、より良い構造物に仕上がったということも一度ではなかったからだ。ただ、その変更のために作業が遅れ、納期を守るために現場社員が四苦八苦することになった。また、時には「先代さま」の口出しは、的外れで嫌がらせとしか思えないようなこともあることは事実だった。若手社員が「先代さま」を嫌う理由もよく分かった。そのような「先代さま」と若手社員の間で板挟みのような立場にあることもあって、吉住は転職を考えるようになっていった。