俺は本当に、残念だ
本来なら初七日が終わると、仕事に復帰するはずだった。
しかし一郎は休職した。
仕事は晴美のためにやっていただけで、晴美のいなくなった今、なぜ働くのかが分からなかったからだ。
年下の上司は快く休職を認めてくれた。
大して仕事もできず、職場の空気を重くしているだけの一郎がいなくなることを喜んでいるかのように感じたが、元から職場になじんでいたとはお世辞にも言えない一郎には痛くもかゆくもないことだった。
他人との関わりなんてまっぴらだ。一郎にとって、仕事は晴美と生活していくためにするものでしかなく、やりがいなんてものを感じたことはない。職場はなれ合いの場所ではなく、晴美と過ごす時間を削る必要悪だった。
若いとき、上司から同僚たちと信頼関係を築けとしかられたこともあったが、一郎は前向きになれなかった。気付けば、もう一郎の居場所は会社にはなかった。
だがようやく仕事を休んでも、家にも、この世界のどこにも晴美はいなかった。一郎は記憶が色あせていくことを拒むように、晴美との思い出の場所を巡った。
さすがに旅行で行った場所まで足を伸ばそうとは思えなかったが、歩いて行ける範囲のところにも思い出の場所はたくさんあった。
週末に2人で出掛けた駅前のスーパー、コーヒーを飲んで休憩した喫茶店、散歩コースとして来ていた大きな池がある公園――。
ベンチに座り、自然豊かな景色を眺めながら他愛(たあい)のないことを話した。過ごしやすい春の日は陽だまりのなかで時折あくびをしたりしながら読書をした。
記憶のなかの日々はどれもあたたかで、優しく、黄金色に煌(きら)めいていた。
だが今は違った。冷たくてわびしい、灰色の風景が一郎の目の前に広がっていた。
スーパーは人が多くてうんざりだった。喫茶店のコーヒーも家で飲むものとの違いが分からなかった。公園も池の匂いが生臭く、落ち葉に混ざって地面に転がるゴミが目についた。
理由は分かっていた。
晴美がいたから、一郎の毎日は色鮮やかだったのだ。
「……俺は本当に、残念だ」
一郎はため息みたいにそう吐き出して、薄く笑った。