在宅治療とともに開始した義母との同居

ふたりの暮らしに変化が起きたことがもう1つ。在宅治療を始めてから、義母がときどき隆さんの様子を見に来るようになりました。着心地の良いパジャマを買ってきたり、手作りの料理を持参したりと、子を想う母ならではの気遣いが続きます。休日には義姉夫婦も子どもを連れてお見舞いに来て、にぎやかな時間となっていました。

しかし、穏やかで温かな日々は長く続きませんでした。日に日に病状が悪化していく隆さんを見た義母から、ある時こんな提案をされます。

「残り僅かな時間を一緒に過ごしたい。できれば、最期の時までこの家に泊めてほしい」

家族みんなで見送りたいと考えていた育子さんにとって、断る理由はありません。それから約2週間、義母とふたりで看病し最期は義姉家族も一緒にその時を迎えました。

自宅に居座る義母の「衝撃発言」

その後、育子さんは別れの寂しさを感じながらも無事にお通夜とお葬式を終え、隆さんを見送ることができました。

ところがここで、育子さんにある疑問が出てきます。お通夜やお葬式を終えて一段落しても義母が自宅に戻らないのです。四十九日が過ぎても、2カ月たっても帰る気配がないことを不思議に思い、思い切って義母に聞いてみることにしました。

「自宅へはいつ戻られるんですか?」

それに対し、義母からは衝撃の答えが返ってきます。

「ここは私の家だけど?」

義母は自分の家へ帰るつもりなどさらさらなかったのです。「義母の荷物がいつの間にか増えていたのはそういうことだったのか……」と気付くも時すでに遅し。平日は義母の友達が、休日には義姉家族が頻繁に遊びにくる始末です。

心がざわついていたにも関わらず、役所での手続きや看病のため休職していた間にたまった仕事に追われ、見過ごしてしまったことが“痛恨のミス”となりました。

●義母が頑なに育子さんの自宅に居座る理由とは何なのでしょうか。また、将来降りかかっているであろう負担を見越し、育子さんは思い出深い自宅を離れることも視野に入れ始めました。後編【「ここは私の家」義母との不本意な同居で深まる確執、50代女性が転居を考えた「最大の要因」】で詳説します。