トチの木をぜいたくに使ったテーブル、ハリウッド映画に出てきそうな本革の大きなソファ、繊細なレリーフが施されたタンス。この店に置いてある家具は、どれも安藤の手には届かないようなものばかりだった。決して自分が買えないような高級家具を人に売る仕事を始めてから、もう18年たつ。
大学を卒業してこの高級家具店に入社した時は『いずれ出世して自分もこんな家具を買えるようになろう』と考えていた。しかし、安藤の給料はいまだにその水準に達していないし、これからも達する見込みはなかった。いわゆる同族企業なので、上のポジションは創業者一族によって占められており、それ以外の社員が出世するのはかなり難しかった。もちろん、安藤も出世とは無縁で、数年前に平社員から主任になったきりだった。入社して初めて肩書がつき、月々の給料が1万円だけ上がった。1万円があれば、店の片隅で売られている犬用のマットなら、セールの時を狙えば買える。
作り物の笑顔
「すいません、ちょっと気になるデスクがあるんですが」
「ありがとうございます。どの商品でしょうか?」
いかにもお金に余裕がありそうな老夫婦に声をかけられ、笑顔で返事をする。18年間の販売員人生で得たものといえば、上っ面の愛想と笑顔だけだった。作り物の笑顔を顔に貼り付け、老夫婦と一緒にデスクのコーナーへ向かう。老夫婦が気になっているのは、家具職人が北海道産のナラを使って丁寧に作り上げた立派なデスク。中古車が買えるような値段だ。
「こちら、本当に人気があるデスクなんですよ。腕の良い職人さんが丁寧に作っているので、びっくりするぐらい使いやすいんです」
営業トークを口にしながら、本心では『別に売れなくてもいいや』という気持ちだった。主任に昇進したのと引き換えに、家具を販売したら得られるインセンティブを受け取る権利がなくなったので、いくら家具を売ろうが安藤の給料は変わらないのだった。
「ありがとうございます。こちら、いただきますね」
そんな安藤の思いとは裏腹に、老夫婦はいともあっさりと購入を決めてくれた。息子が都内に家を建てたので、新築の家に合うような立派なデスクをプレゼントしたかったのだという。この値段の家具をたいして悩みもせずに買って、しかもプレゼント用とは驚いた。いったい、どれだけ金を持っているのだろう。きっと、安藤が100年働き続けても稼げないような大金が銀行なり巨大な金庫なりに眠っているのだろう。
老夫婦を見送り、会社の休憩室でコーヒーを飲んでいると、社内でいちばん嫌いな人間に声をかけられた。店長の乾だった。創業者の孫ということで、いきなり副店長のポジションで入社し、あっという間に店長になった。