<前編のあらすじ>
成績優秀な息子の通学、大学進学を見据えてタワーマンションへ引っ越してきた佐伯智子。波風立てず暮らしていたが、息子から驚きの事実を告げられる。
●前編:【「一人息子のために…」中年夫婦にタワマン購入を決意させた“一方通行な愛情”】
家族三人でこのマンションに越してきた8年前の記憶をたどると、広く取った窓からぼんやりと新宿の高層ビル群の方向を見つめていた息子・劉成の姿が像を結ぶ。高層ビルのずっと先には、愛犬のフレディと共に暮らした国立の家がある。
昭和の時代に建てた一軒家で暮らしていた私たちにとって、このマンションの最新設備は驚きの連続だった。主人の弟が言った通り、ゴミ捨ては楽だし、買い物や通院、外食といった大抵の用事は1階のテナントで済む。極めつけが、晴れた日の都心を見渡す素晴らしい眺望だ。
とはいえ、お上りさん気分で新生活を楽しめたのは最初の数カ月に過ぎなかった。大らかな雰囲気だった国立の自治会と違い、マンションの住民には厳然たるヒエラルキーが存在した。中層階のオーナーである私たち夫婦はさしずめ「中の中」といったところか。
「上の上」の地権者の増岡夫人とお近づきになると、ホームパーティやマンション内の行事などに駆り出されるようになった。料理や裁縫、フラワーアレンジメントなどひと通りこなす私は、使い勝手がいいと思われたのかもしれない。
相手が相手だけに無下に断るわけにはいかない。そうすると今度は、現役校長だった主人に孫の勉強を見てほしいと言い出した。
頭のいい主人はマンション内の空気を薄々察していたのだろう。二つ返事で週末、増岡さんのお孫さんの家庭教師を引き受けた。当時高校1年生だった上のお孫さんは第一志望の大学に合格し、今は高校生になった下のお孫さんの相手をしている。
いずれは劉成に引き継ぐこのマンションで、波風立てずに暮らしていく。私たち夫婦の望みはそれだけだった。しかし、引っ越しから1年も経たないうちに、そんなささやかな望みを打ち砕くような出来事が起きる。