母親の生い立ち

母親の葬儀の喪主は、春日さんが8カ月の娘を抱っこ紐に入れた状態で務め上げた。認知症が進行している父親は、葬儀前日から直前まで飲酒していため、酒臭く千鳥足で参列。状況を理解しているのかしていないのか、ひたすら泣きじゃくっていた。

母親には生みの両親と育ての両親がいた。母親がその事実を知ったのは成人後のこと。生みの母親が探偵を使って母親を探し当てたのがきっかけだった。生みの両親は母親が生まれた直後に離婚し、母親は生後数カ月で育ての両親のもとに養女に出されたのだという。母親がそれを知ったとき、生みの父親はすでに亡くなっていた。

母親は、「私の母さんは、育ててくれた母さんだけだから」というのが口癖だった。しかし、「産んでくれたことは感謝しているから」と言って、離婚後は独身だった生みの母親も介護して看取った。そして「母さんは、生みの母さんとは会いたくないだろうから」と言って、育ての両親とは違うお寺に生みの母親だけのお墓を建てた。

自宅には仏壇が2つあり、仏壇も遺影も離して置いてある。生前、母親は春日さんに、「悪いけど、今後もお墓参りは2つお願いね」と言い、「私は絶対に育ての両親のお墓に入りたい。母さんが悲しむから分骨はしないで」と話していた。

葬儀後に発生したトラブル

母親の葬儀は僧侶である義父に依頼してあり、滞りなく執り行われた。

葬儀後、春日さんは母親の希望通り、遺骨を育ての両親のお墓に納骨するため、A寺に母親が亡くなった旨を連絡する。するとA寺からは、「法名をつけなおし、お経をあげ直さないとうちのお墓には入れられない」と言われて唖然。「そういう規約になっている」と重ねて言われたため、母親が遺した資料を確認すると、確かにそのように明記されており、衝撃を受けた。

「夫から僧侶である義父に話しましたが、元々怒りっぽい義父なので、『そんなルールがまかり通るのか? 俺がA寺に連絡してやろうか?』と憤慨していました。夫に全力で止めてもらいましたが……」

A寺に連絡してから2週間ほど経ったある日、「法名をつけ直すというのはあまりにもだと思ったのでそれは大丈夫ですが、お経はあげ直さないとうちのお墓には納骨できません。もしくは墓じまいをして、どこかに新しいお墓を建てるという方法もあります」とA寺から墓じまいの提案があった。