反乱の“首謀者”は私? 納得できない解雇
当然ですが既存のパートさんたちは激怒し、古株の数人が「もうこんな店にはいられない」と言ってきました。この一件ではさすがに副社長をかばうことはできず、社長が連れてきた社会保険労務士さんやパートさんたちと話し合いの場を持ち、既存のパートさんの時給を引き上げることで一応の決着を見ました。
しかし、副社長には何のおとがめもありませんでした。それどころか、副社長はこの一件をパートの反乱と見なし、私が背後で糸を引いたと思い込んだようです。以降は何かと目の敵にされ、社長や取引先の前で「無能なマネジャー」とののしられることも何度かありました。
職場の雰囲気も日を追うごとに悪くなり、退職者も増えました。コロナ禍で苦戦が続いたこともあり、社長は売り上げの良くない店舗を閉めることを決断したようです。そして、その際、真っ先にリストラ候補に挙がったのが何と私だったのです。後に社長から呼び出され、頭を下げられました。
「実は本業の不動産の方も業績が悪化していて、私は当面そちらに注力しなければならない。副社長に『弁当店はお前に任せるから、立て直しを頼む』と伝えたところ、『宮田さんとは一緒にやっていけない。店を任せてもらうのなら人事も刷新したい』と言う。『宮田さんは功労者だぞ』と何度も説得したが、同意を得られなかった。こんなふうに追い出す形になってしまい、本当に申し訳ない」
社長の前で泣くまいと思っても、涙が止まりませんでした。この5年間はいったい何だったのか。自分という人間を全否定されたような気持ちでした。
●宮田さんが取った行動で事態は一変…!? 後編へ続く>>
※個人が特定されないよう事例を一部変更、再構成しています。