同級生の現状を知り次第に焦りが募る
女子高時代、私はスクールカーストの上位にいました。地方の大して偏差値も高くない学校ですが、成績は常にトップ10に入っていたので、それが大きかったと思います。しかし、今となっては、私は普通の会社員。一方で、看護師になって外科医と結婚してタワーマンションに住んでいたり、地元選出の市会議員をやっていたり、人気旅館に嫁いで名物女将になっていたりする同級生がいて、皆から羨望を集めていました。
私は高校時代からの親友・麻里子と参加したのですが、美人で成績も良かった麻里子もなぜか未だに独身で、同窓会の後は2人で飲みに行き、互いの境遇を愚痴り合いました。
麻里子に「結婚する気あるの?」と尋ねると、麻里子は「あるに決まってるじゃない。でも、今さらマッチングアプリでもないし、婚活バスツアーくらいは行かないと厳しいかもね」と笑っていました。
確かにそうかもしれない、と不本意ながら思いました。
年齢も年齢ですから結婚を考えた相手も何人かいますが、理想が高かったせいか、「もっといい人がいるはず!」と踏み切れませんでした。しかし、45歳で彼氏と別れてからは恋愛もとんとご無沙汰で、このまま年を取っていくだけでもうワンチャンあるかも怪しいところです。
生涯独身の可能性も…思い出すのは叔母の終活
まだ、生涯独身を貫くと決めたわけではありませんが、その可能性は年々高まっています。「おひとりさま」という言葉を聞くと真っ先に思い出すのが母の一番下の妹の叔母のことです。叔母はあの年代では珍しく、シングルのまま公務員として定年まで勤め上げました。定年を迎えてこれから好きな旅行を楽しむと話していた矢先、指定難病に罹患していることが分かりました。
驚いたのは、叔母がその後、母などきょうだいに全く頼ることなく、自分の終活を全部自分の手でやり遂げたことです。自宅を売却した後はホスピスに入居し2年ほどして65歳で亡くなりましたが、葬儀は不要であること、お骨は事前に登録した共同墓地に納めること、残った財産は慈善団体に寄付することなど、ことごとく指定されていたのです。
母によると、叔母には5000万円近い遺産があったと言います。公務員とはいえ、叔母は高卒ですし、役付きになったこともありません。住んでいたのも駅近ではあるものの1DKの狭いマンションで、どちらかと言えば殺風景な部屋でした。叔母は今風に言うならミニマリストで、最低限必要なものしか買わないタイプ。とにかく質素で堅実だったのです。ただし、休暇を利用しては好きな旅行に出かけたり、私のような甥姪には節目節目のお祝いやプレゼントを贈ってくれたりしていました。
