ちゃんとしろっていうのもパワハラなの?

榎本は、里沙にとって特別な存在だった。新卒でこの会社に入った里沙は、榎本に育てられたといっても過言ではなかった。医師とのコミュニケーションにおいてなにが重要なのか、製品の説明をするポイントはなんなのか、クレームが起きたときにはどうすれば良いのか。さまざまなことを榎本から教えてもらった。

一緒に飲みに行ったことも何度もあるし、里沙の結婚式でも主賓挨拶を務めてくれた。今はもう別々のチームになり、以前に比べて交流は減っていたが、榎本から引き継いだ病院の医師からは「榎本さんそっくりだ」と言われることもあるほどに影響を受けている。里沙にとって「頼れる先輩」のひと言では片付けられない存在だった。

「何で榎本さんが?」

「今日はリモートだから本人からはなにも聞けてないんだよね。でも、そんなに変なこと言う人じゃないと思うんだけど…」

「そうだよね。私も信じられない」

「でも、榎本さん、社会人なのに自分に甘すぎる、何でこんなこともできないんだ、ちゃんとしろ、ってけっこう強めに指導してたみたいなんだよね」

「いやいや、そんなことでメンタル病まれたら仕事になんないでしょ」

里沙はパワハラを訴えた社員こそに問題があると感じた。厳しい言葉をかけられたら、たしかに辛い気持ちになる。しかし、上司は心配して言ってくれているのだから、そこは部下がくみ取るべきところだ。

とはいえ、問題化してしまった以上、榎本は処分されてしまうだろう。最近はなんでもかんでもハラスメント扱いされてしまう時代だし、会社はそれに異常なほど敏感だ。

「里沙も気をつけなよ~。榎本さんそっくりなんだから」

重い空気を払うように、玉木が冗談めかす。しかし今の里沙には愛想笑いすら難しかった。

「ねえ、ちゃんとしろっていうのもパワハラなの?」

「え、うーん、どうなんだろうね。時と場合によるだろうけど、具体的じゃないし、しんどいときに言われたら余計キツいんじゃないかな」

「そうなんだ……」

「なに、もしかして心当たり? 勘弁してよ? 育休明けて戻ったら里沙がいないと困るんだから」

「そういうんじゃないよ」

と、言いながらも里沙にはすでに心当たりがあった。それは会社の同僚にではなく、今も家で休んでいるであろう夫へ投げかけた言葉への心当たりだった。