キッチンの隅に立った真名美は、スマートフォンを耳に当てたまま微笑んでいた。
電話越しに聞こえるのは、離れて暮らす祖母の陽気な声。フランス人の彼女は、祖父との結婚を機に日本へ移住し、真名美の母を産んだ。今は再び故郷の北フランスに住んでいるので滅多に会えないが、年に数回、こうして電話での連絡は取り合っている。

「Bonne année.」

「Merci beaucoup. Bonne année.」

年越しの挨拶を終えて電話を切ると、すぐに背後から夫の冬馬の声がした。

「真名美、あとの準備はいいから少し休んでな」

そっとリビングから顔を覗かせた彼は、少し心配そうに眉を寄せていた。

おそらく祖母との電話が終わるタイミングを見計らってくれていたのだろう。大学時代からの付き合いだが、お互い三十路を過ぎた今も彼の優しさは変わらない。

特に真名美の妊娠が発覚してからは、前にも増して気を遣ってくれることが増えた。

「ほらほら、真名美は座ってて。寒いからブランケットも使って」

「ありがと」

冬馬に促されてリビングに戻った真名美は、彼に聞こえないよう小さくため息をついた。テーブルの上に並んでいるのは、朱色の重箱と4人分の食器。 落ち着かない気分で皿の位置を微調整していると、真名美と入れ違いでキッチンに入った冬馬から声がかかった。

「お茶も出したほうがいいよね?」

「あ、うん。でも、まだ早いかも。お義父さんたちが来てからでいいよ」

真名美はできるだけ自然に答えた。だが、冬馬の視線が一瞬だけ真名美の表情を探るように留まったのに気づき、思わず目を逸らしてしまう。彼には自分の不安を悟られたくなかった。

「そっか。じゃあ、もう少ししたら準備するね」

そう言いながら、再びキッチンへ引っ込む冬馬。その背中を見つめていた真名美は、いつの間にか自分の指先が冷えていることに気付いた。心の中で大丈夫と自分に言い聞かせ、両手を胸の前で握りしめる。

真名美が緊張しているのには理由があった。

それは今年の正月がいつもと違うから。

例年ならば年末年始は夫の実家で過ごしていた。しかし今年は真名美が妊娠しているために帰省が取りやめになり、義両親のほうが真名美たちの家にやってくると言い出していた。

こちらから出向くよりも、準備の負担が少ない分だけ楽なはずなのに、心が重かった。

真名美はテーブルに視線を戻し、もう一度皿の位置を微調整した。普段は気にならないようなわずかなずれも気になって仕方ない。

「あと5分くらいで着くって」

「あ、そうなんだ」  

返事の声はできるだけ明るく響かせたつもりだったが、真名美の声は引きつった。  
息を深く吸う。時計の秒針がやけに大きな音を立てている。