人は見た目が9割という
残業を終えた正志は、帰りの電車で窓の外をぼんやりと眺めていた。窓に映っているのは、くたびれたスーツに身を包む疲れた顔の男。
「結婚か……」
口の中でつぶやいたその言葉は、思った以上に重く響く。途端に家族の話をする同僚たちの笑顔が目に浮かぶ。
妻や子供の文句を言いながらも、どこか誇らしげに話す既婚者たち。
正志には、あんな顔をして話せるような存在がいない。家に帰れば、待っているのは殺風景な広い部屋。これといった趣味もなく、ただただ会社と自宅を往復する日々だった。
その晩、正志はスマホを手に取り、マッチングアプリを検索した。
「まあ、これくらいならやってみてもいいか」
こうして思いつきのまま、マッチングアプリをダウンロードした正志だったが、すぐに操作の手を止めることになった。
「プロフィル写真……」
スマホの画面を眺めながら、正志はため息を吐いた。
自分の顔写真を掲載するのは恥ずかしかったが、他のユーザーのプロフィル写真を見る限り、ただの風景やペットの写真では誰も反応してくれそうにない。
だがただ顔写真を載せたところで意味はないだろう。人は見た目が9割だという。電車の窓に映ったくたびれた自分の姿を思い出し、まずは外見を整えなくてはならないと感じた。
正志はマッチングアプリを閉じ、高級サロンの予約サイトを開いた。
最初に訪れたサロンで、美容師に「婚活用の髪型を」と頼むと、丁寧にヒアリングをしながらカットをしてくれた。
髪型が整うと、鏡の中に映る自分が少しだけましに見えた。
担当した美容師も鏡越しに褒めてくれたが、これで終わりではないと考えた正志は、次にスーツの専門店へ向かった。
「こちらの生地は最高級のウールでして……」
店員のセールストークを聞きながら、正志はクレジットカードを差し出した。
オーダーメードを待っていると婚活に向いた気持ちがそがれてしまいそうなので、ひとまず既製服の高級ブランドのものを買ったが、これまでサイズ合わせもてきとうな安物のスーツばかり着ていたせいか、新しいスーツはぴたりと体に合い、心なしかスタイルすらよくなったように見えた。もちろん靴やシャツ、ネクタイ、バッグや時計も一緒に買った。
これまで稼いだ金をろくに使うこともなかったから、資金だけは大量にあった。
だから正志は勢いのまま、高級車の購入にも踏み切った。迎えに行ったとき、レンタカーではかっこうがつかないと思ったからだ。
「この車なら、どんな場所に行っても注目を集められるでしょう」
ディーラーの言葉にうなずきながら、正志は運転席に座り、ハンドルを握りしめた。
自分は準備万端だと思った。